世界の終わり

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卑弥呼と邪馬台国は消された?失われた150年が面白すぎる!

言わずと知れた邪馬台国の女王・卑弥呼。

しかしその存在は、日本古代史最大の謎と言われるほど、ベールに包まれています。

それは日本の歴史上から、卑弥呼の存在が「消された」ためでもあります。

実は・・・失われた150年と呼ばれる期間があるのです。

 

そこで今回はそれらの謎に迫っていきましょう。

ますは卑弥呼とはどんな人物だったのか、古代の歴史を紐解いていきますよ!

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卑弥呼と邪馬台国

有名な卑弥呼ですが、何をした人?と言われると意外と分からないかも知れません。

 

弥生時代後期の当時の日本は、倭国(わこく)と呼ばれていました。
といっても1つの大きな国というわけではなく、30ほどの小さな国の集まりでした。

その中での中心的な国が、邪馬台国だったのです。

また日本列島全体が倭国だったのではなく、九州と周辺の島々の範囲だったとみられています。

 

倭国は元々男の王が70~80年ほど治めていましたが、倭国大乱と呼ばれる内乱状態に陥ってしまいました。

そこで卑弥呼を女王として立て、その混乱を収めたといいます。

女王となった卑弥呼は、儀式を行う役割を担って人前に姿を見せず、政治的なことは弟が行っていました。

また卑弥呼は生涯独身で、彼女の元には食事を運ぶ一人の男だけが出入りしていたといいます。

 

卑弥呼は鬼道(きどう)と呼ばれるものを使っていたようです。

具体的にこの鬼道というのがどのようなものであったのかはわかっていません。

個人的には呪術であるとか、道教なのでは、神道のことではないかと考えていますが、つまり卑弥呼にはそのような力があったのでしょう。

シャーマンのような感じですよね。

 

卑弥呼は中国の魏(ぎ)に遣いを送りました。

中国の皇帝からも親魏倭王(しんぎわおう)という称号をもらって、金印を与えらました。

この金印は発見されていませんが、もし見付かれば邪馬台国がどこにあったかの論争に決着が付くことでしょう。

いや、むしろすでに見つかっていて何らかの勢力が意図的に隠しているのかもしれませんね。

 

ちなみに、中国の国王に魏の国の王であると認められなければならないのは、魏の国の卑弥呼、いや邪馬台国の一同は大陸から移動してきた民族なのでしょうか?

だとしたら中国に近い九州が邪馬台国なのはうなずける気がしますね。

 

卑弥呼が亡くなった後、男の王が立てられたものの再び内乱が起こりました。

そこで卑弥呼の親族という13歳の台与(とよ)が女王になり、争いは収まったといいます。

 

その後の150年ほどは、中国の歴史書から日本に関する記述が無くなるため、「謎の四世紀」と呼ばれる時代に入ります。

その間、邪馬台国は滅びたのか、邪馬台国からヤマト王権になって行ったのか、様々な説が唱えられています。

この辺りが怪しさ満点。

失われた150年に何があったのか?

 

ここまでの卑弥呼の話は、全て中国の歴史書に書かれているものです。

では日本の歴史書では?というと、これがかなり奇妙なことになっています。

歴史から消された卑弥呼

卑弥呼や邪馬台国は非常に謎が多く、まだはっきりとしたことは分かっていないといえるでしょう。

ではなぜそんなに謎が多いのでしょうか。

 

卑弥呼について記された書物は、三国志の魏志倭人伝など中国の歴史書ばかりです。

なぜか日本の歴史書には、ほぼ出てきません。

卑弥呼が亡くなったのは247年頃とされていて、三国志が書かれたのがその30~50年後の3世紀末のことです。

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それに対して、日本最古の歴史書である古事記が完成したのは712年、続いて日本書紀が完成したのは720年なので、400年以上も後のことになります。

その古事記や日本書紀には、卑弥呼や邪馬台国がどう書かれているか?

というと不思議なことに、全く名前が出てきません。
ところが、完全にスルーというわけでもありません。

日本書紀の神功皇后に関する記述の注釈で、「魏志によれば、女王が魏に使いを送ったという」との記述があります。
つまり日本書紀では「卑弥呼=神功皇后」と思わせる書き方をしているのです。

しかし、はっきり卑弥呼や邪馬台国といった言葉は使いませんし、あくまで魏志(倭人伝)の引用という形をとっています。

日本書紀の編者が、魏志倭人伝などの中国の史書から卑弥呼の存在を知っていたのは間違いないのに、不自然に触れないようにしているとも見えます。

これはなぜでしょうか?

すでに500年も前のことなので、実際良く分からなかったのかも知れません。
あるいは、何か触れたくない事情があったとも考えられます。

理由としては、ヤマト王権の前に女王がいたことを隠したかった、中国に遣いを送り忠誠を誓った邪馬台国を良く思っていなかった、といったことが上げられます。

 

しかし中国の歴史書に載るほど有名な卑弥呼が、日本では全く伝承が無いというのは余りにも不自然ですね。

そこで、卑弥呼は日本では別の呼ばれ方をしていた人物では?という考えも出てきます。

 

消されたと言えば太古の日本文明カタカムナも消された節がつよいです。

卑弥呼の正体とは?

卑弥呼とは一体誰なのでしょうか?

今までに様々な説が唱えられていますが、代表的なものをご紹介します。

神功皇后(じんぐうこうごう)

日本書紀では神功皇后を卑弥呼と匂わせています。
あるいは、神功皇后は台与であるとの説もあります。

そもそも神功皇后自体が、卑弥呼をヤマト王権の人物とするために作られた架空の存在ではないか、との見方もあります。

しかし、卑弥呼は生涯独身だったとされているのに対して、神功皇后は仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后であり当然独身では無いなど、人物像がかなり異なっています。

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)

長い名前ですが、第7代孝霊天皇(こうれいてんのう)の皇女で、神秘的な力を持つ巫女として予言を行っていたといいます。

その墓とされる箸墓古墳(はしはかこふん)は、卑弥呼の墓という説もあります。

箸墓古墳のある纒向遺跡(まきむくいせき)は、邪馬台国の中心だったのではといわれる場所です。

ただ、百襲姫は女王ではないこと、大物主(おおものぬし)という夫がいたことなどが卑弥呼とは違っています。

天照大神(あまてらすおおみかみ)

天照大神は日本神話の太陽の女神ですが、卑弥呼も「日の巫女」と解釈できます。

また卑弥呼の亡くなったとされる時期に皆既日食が起きていて、それが岩戸隠れの伝説になったのではないか、ともいわれます。

日本書紀の記述をそのまま取れば年代が合いませんが、初期天皇の異常に長い寿命を現実的に直せば、一致するとの見方もあります。

ここまでの説はあくまでも、卑弥呼が古事記や日本書紀に書かれた、ヤマト王権の誰かであるという前提に立ったものです。

しかし、それらには書かれていない全く別の人物という可能性も、もちろん考えられます。

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それでは最後に卑弥呼のポイントをおさらいしていきましょう。

卑弥呼から古代日本を想像~まとめ~

謎の多い卑弥呼について見てきました。

簡単にまとめてみましょう。

  • 卑弥呼は騒乱を終わらせるために立てられた巫女の女王で、中国に遣いを送り交流していた。

 

卑弥呼や邪馬台国に関しては、多くの人がたくさんの説を出してはいますが、いずれも推測の域を出ないともいえます。

結局資料が限られるので、発掘で決定的な証拠でも見付からない限り、結論が出ることは無いでしょう。

だからこそ、人々の興味をかき立てるんですね。

 

ぜひ古代の日本を想像してみてはいかがでしょうか。



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皆さんからのコメント一覧

  • Comments ( 2 )
  • Trackbacks ( 0 )
  1. 基本的には歴史は勝者が書いている

    つまり,後の古事記などはどこまで信頼にたるかが疑問。

    また当時の日本などはたんなる属国だし
    今みたいに簡単には往来できないならば
    中国も重要視していない。
    大体が天皇自体も,大陸の敗軍の将が日本で新たにたてたと感じている。

    • なるほど、仰る通り歴史は勝者がつくりますよね。
      古事記は大化の改新でクーデターに成功した藤原(中臣)氏が作ったものですし。

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