今現在においても世界の七不思議のひとつとして数えられるイースター島の「モアイ像」。
私も子供の頃から知っており大いに興味をもたせてくれる「謎」の一つです。

一体、誰が何の目的でこのような強大な石像を作りえたのでしょうか?

また、こんな巨大な石像をどうやって運搬する事ができたのでしょうか?
本当に太古の昔に宇宙人がやってきて彼らが建設したのでしょうか?

あるいは太古の地球上に巨大民族が住んでいて彼らが建設したのでしょうか?

考えてみれば本当に「謎」だらけの不思議な石像。
それが「モアイ」です。

では、それらの謎を一つ一つ、ひも解いていきましょう。

モアイ像が造られた理由は?

墓碑説

多くの場合、まだ文字をもたなかった時代の人々は高貴な人や指導者の葬儀には、形の大きさ、勇壮さでその人間の権力の大きさを表してきました。

そういった発想は日本の古墳にも見事に表れています。
より大きい権力者になるにつれその古墳の規模はどんどん大きくなっていきましたね。

モアイの石像にも恐らく同じような事が言えるのではないでしょうか。

 

それとモアイ像の土台部分からは多くの人骨が出土しています。
これも想像するに支配者の埋葬に使われた生贄の人達の亡骸の跡ではないでしょうか?

生贄の数が多ければ多いほど支配者の絶対性も後世に残ると考えられたのでしょうか。

現在のところではこの「墓碑」説が最有力として信じられています。
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photo credit: IMG_4331 via photopin (license)

祭祀説

墓碑説が出てくるまでの最有力説でした。

いかなる時代においても人々は神なる存在を信じてきました。

 

農耕民族にとっては作物の豊作こそが生きて行くうえで最も重要な部分を占めます。
そんな彼らにあって作物の育成に重大な影響を与える自然災害というものは最も脅威となる存在であったはずです。

これは世界のいかなる国家、人種、民族をとっても共通した考えです。

作物の刈り取りのシーズンを迎えるにあたって人々は山に海に、自然の猛威を発揮させる対象に対して拝み、祈祷したはずです。
その神への最大の敬意の表れがこの巨大なモアイ像であったというものです。

モアイ像を少しでも大きく、多く建設し飾る事が彼らの生きて行くうえでの心の拠り所となったとしたならば、
あながちこの「祭祀説」も信憑性をはらんでくる謎を解くためのカギとなっれくるのではないでしょうか?

 

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photo credit: Orongo via photopin (license)
※イースター島

モアイ像が造られた理由

結局のところモアイ像建設の理由は謎のままです。

上記の「墓碑説」も「祭祀説」も十分に確信づけられるものではないでしょう。

しかし、像の土台から多くの人骨が出てきた事実は重要です。
やはり今のところは、【このモアイ像は当時の支配者の墓だった。】
という説が一歩、リードしているようですね。
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photo credit: Rano Raraku Moai 1 via photopin (license)
では、あの巨大な蔵を当時の人達はどのように運んだのか?
次はこの辺りの謎に迫りたいと思います。

モアイ像をどうやって運んだのか?

モアイ像のサイズは通常が3.5メートルで重さは20トン
最大級のものになると20メートル。重さが90トンであったようです。

こんな巨大な石像を当時の人達はどうやって運び現在の場所に据え付けたのでしょうか?
これこそどういう目的で作られたのかを凌駕する最大の謎かもしれません。

建造された時期のヒントから考察する

モアイ像が建設されたのは5世紀頃であるだろうと考察されています。

それは実際に像に付着していた花粉から割り出されました。

その花粉を調べてみたところ5世頃のヤシの木の花粉だったようです。

という事は当時、この島にはヤシなどの木が鬱蒼と生い茂っていたことを証明しています。

大量の木をコマ代わりに使用
ヤシの木が生えていたとなってくると容易に推察できるのが
木をコマ代わりに使って運搬したという事です。

この考え方が最も妥当な考え方でしょう。

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モアイのは歩いて移動した?

製作した場所から設置場所へ足元に大量のヤシの木をクルマ代わりに横たわらせて運んでいけば理屈上可能です。
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photo credit: Chile 2012 via photopin (license)
※切り出し場の様子

ロープ代わりになるツルも当時、森林地帯であったならば容易に手に入ったはずです。
こうやって支配者階級は大勢の人間を使って運搬の役目に当たらせていたと思われます。
その他の運搬説

木を使ったという説以外にも様々な説があります。

 

なかでも面白いのがモアイ像が直接、歩いて移動したというものです。

これが本当ならばそれこそ謎と神秘が交錯する地球最大の出来事だと思うのですが。
残念ながらこの説はちょっと現実味がないようです。

何でも、当時の運搬技術によるとモアイ像を立てたまま運ぶこともやっていたようです。
さながらその光景はモアイ像が自分の脚で歩いているように見えたことでしょう。

遠距離から眺めればなるほど、その通りだ、と頷けますね、

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モアイ像の謎〜最後に〜

今回ご紹介したモアイ像の謎については

  • どういう目的で誰が作ったのか?
    「支配者の墓碑」
  • どういう運搬方法だったのか?
    「木をコロのように使って運搬した」

というのが現在のところ有力な説です。

モアイ像が建設されていた当時のイースター島は、先程触れました通り、モアイ像にヤシの木の花粉がついていた事柄緑豊かな豊かな島だったと思われています。

今のイースター島はこのような感じです。

しかし、狭い島内に1000体を超す規模でモアイ像が作られるようになって様相が一変したのだと思います。

度重なる森林伐採により島の環境が変化し、作物が取れなくなりその結果、食べ物を巡っての部族間の争いが絶えなくなってしまいました。

その後、西洋人により島の住民は奴隷状態となりこの奇跡の文明の後継はまさしく滅んでしまったのです。

思えば今から1600年以上前の人類が誰に教わるでもなしにこのような巨像を作りえました。

子供の頃、初めてモアイ像の画像を見た時、途方もない大いなる神秘と謎をを感じたものです。
本当に宇宙人がやってきて作ったものなんだ、と思ってましたから。

そんな錯覚を起こさせてくれた大昔の人々。
彼らの子孫はもういません。

何故、モアイの人達はこの世から消えてしまったのか?
多くの教訓が現在の私たちに警笛を与えてくれているのを感じます。