チッタウルガル?聞いたことはないですねえ…、という方が大半ですよね。
たけしの新世界七不思議でやるので調べてみました。
実はチッタウルガルは旅行好きや歴史好きな人間にとっては密かに熱いホットスポットとなっている場所があったりします。
消滅したり滅んでしまった歴史上の名もない国家に興味のある私は
知りうる限りの情報を集めてみてこの謎の多い古代都市「チッタウルガル」の消滅の謎を追ってみたいと思います。
チッタウルガルはどこにある?
チッタウルガルが存在しているところはインドの北東部、ラージャスターン州という
日本ではあまり馴染みのないところに存在しています。
標高180メートルの小高い丘の上に現在、ひっそりとその佇まいを残しています。
チッタウルガルは意外な観光地?
日本ではほとんど知られていないところですが
現地のインド人たちにとっては結構、メジャーな存在です。
こちらの動画をご覧下さい。
外国からやってくる観光客用にオートリキシャと呼ばれるタクシーのような乗り物まであります。
(チャーター料金は半日で300ルピー、1日コースで500ルピーのようです。
因みに1ルピーは1・9円。500ルピーとしても日本円にして約千円! 安いですね。)
何故、このようなサービス体制まで整っているのか?
それはこのチッタウルガルが世界遺産級の素晴らしい絶景を誇っているからです。
そこにプラスして丘の上にそびえ立つ見事な城壁。
7つの寺院と10の宮殿から成り立っているこの一つの小国家は
過去の悲しい物語と相まって見事に現代の世にその存在価値を訴えかけたのです。
ちょっとコレを見てみて下さい。
なんと言うか・・歴史を感じずに入られませんよね。
オートリキシャもいい音だしてますし(笑)
世界遺産チッタウルガルのどこがすごいのかお伝えしておきたいと思います。
チッタウルガルの世界遺産たるゆえんは?
チッタウルガルは標高180メートルの小高い丘の上に建てられた7世紀頃の建造物です。
建造物といってもさしずめ一つの砦のような造りといったほうがいいでしょう。
砦の全長は28キロ。無数の貯水池を持つ「水の砦」です。
寺院と宮殿があると言うことは仏教徒のための王国だったのでしょう。
マウリヤ族という少数民族によって建造された国家です。
砦内に貯水池が多く点在していたと言うことはこの砦内での生活に留まっていたと思われます。
水の心配さえなければ土を耕し作物を育てる事も可能であったでしょう。
とはいえ、国家としては長く栄えたわけではないようです。
少数民族による統治の限界でしょう。
この時代、仏教以外にも強力な勢力として台頭してきたのがイスラム勢力です。
国土拡大のスローガンはインド北東部のこの地域にもやがて押し寄せて参りました。
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チッタウルガルの悲劇
先ほどから出てきますチッタウルガルの悲劇とは何だったのでしょうか?
当時の勢力関係で、西方より台頭してきたイスラム教徒による勢力圏が大きな脅威なり、
都合、3度戦果を交える事となったようです。
その都度チッタウルガル勢は勇敢に戦いましたがその時にどうやら悲劇が起こったようです。
敗戦の中でチッタウルガルの女性は、奴隷にされるくらいなら自ら死を選ぶという行動に出たのです。
これって日本の戦時中の沖縄での出来事に似ていると思いませんか?
敵に捕まるくらいなら自ら崖から身を投げて死を選ぶという行為に。
チッタウルガルでも歴史に先駆けて同じ行為があったのです。
仏教徒の国家として考えられない行為ではないので余計に胸の詰まる思いです。
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チッタウルガル崩壊の謎
結局、チッタウルガルは外敵からの侵略の前に滅んでしまったというのが最も信憑性の高い説でしょう。
勿論、それ以外の理由がないとも言い切れません。
天変地異のため頼みの綱である水の補給が断たれ滅んだのかもしれません。
内部からの反乱により自滅したのかもしれません。
今となっては歴史の教科書にも出てこない無名の国家なので勃興も衰退も分かる術はありません。
「ません。」ばかりですみません。
しかしながら、人々が住むにあたっては困難なはずの小高い丘に巨大城壁と見紛うほどのユートピアを建設し得たこの事実は
チッタウルガルに神秘性を与えるのに十分な動機付けとなるでしょう。
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チッタウルガルのさいごに・・。
チッタウルガルは
- インド北東部に所在
- インド国内にあっては認知された観光地
- 標高180メートルの丘にそびえる水の砦
- 幾たびかの侵攻により悲劇的な結末を迎えた
- 滅んでしまった
という事実が現在に残っているのです。
photo credit: Temple of sati-resister and legendary devotee of Lord Krishna, Mirabai via photopin (license)
人類が誕生してから無数の国家同士の争いが勃発しています。
チッタウルガルも他国から狙われた存在となりました。
恐らくあんなへんぴな場所でありながら食べ物にも水にも困らず住民の意識は高く高貴であったと思います。
他国から見れば羨むべき国家であったのでしょう。
チッタウルガルの民が好戦的であったかどうかは分かりません。
何故、あの様な素晴らしい砦を築けたのか。
統治方法はどうだったのか?今となっては知る術もありません。
このような悲劇が繰り返されないよう、私たちは生きていくしかありません。