自然遺産と文化遺産の両方に登録されている超メジャーな存在のマチュピチュ遺跡。

遺跡や神秘、謎といった要素をここまで凝縮してかつお釣りが帰ってきそうな観光性。
古代インカ帝国の文明の高さと謎が600年の時を越えて私たちの興味をかき立ててくれます。

 

私もこのマチュピチュは大好きな場所の一つです。
文字を持たないインカ文明が私達により一層の神秘と謎を与えてくれます。

こちらの動画をご覧下さい。
4Kなので画像がキレイで臨場感がすごく感じられますよ。

そんなマチュピチュの謎の一つにマチュピチュの水路があります。

標高2400メートルの岩山に水路です。
何故、どうして水路が必要だったのか?どうやって作ったのか?

 

謎だらけです。今回はこのマチュピチュの水路の謎について

  1. 水路の必要性
  2. 水源はどこ?
  3. どのように造った?
  4. まとめ

の順にお伝いたします。

マチュピチュの水路の謎

水路の必要性

ご存知の通り、マチュピチュは標高2400メートルもある山の尾根沿いに存在しています。
場所はペルーのアンデス山脈。
中世の大航海時代にスペインによって滅ぼされるまでは独自の文化の中で生活を送っていたと思われています。

 

マチュピチュ自体には多くの神殿やミイラの安置所が存在しており
尚且つ、住居跡も発見されています。

と、いう事は宗教的な祭祀やそれを執り行う人たちが生活の場にしていたと考えられます。
天文学も発展していましたね。

マチュピチュをこんな僻地に作ったのは星座の位置と関係があります。

 

周辺には無数の段々畑もあり作物を栽培して食料にしていた事が伺えます。

 

そうなってくると必要になってくるのは水です。
いくら山の上の不便なところであっても人が生活にするならば当然、飲用水は欠かせません

5912777748_946c6139b2_bphoto credit: IMG_1103 via photopin (license)

また、先程ここは宗教的な祭祀の場とも言いましたが、インカ帝国は太陽を崇高していたという事実があります。

マチュピチュのこの地は見事なくらい見晴らしが良く太陽の光を遮る物はありません。
神に捧げるための水は聖水です。清く高貴なものでなくてはいけません。

 

よってインカの人々は神に捧げるべく高貴な水を得るため
このような大規模で高技術の水路や水汲み場を作ったのでは無いかと考えられます。

1802144846_a6178d4a43photo credit: IMG_1231 via photopin (license)

水源はどこ?

水の必要性以外の不思議として標高2400メートルの麓のどこから水を引っ張ってきたかです。

これがマチュピチュを神秘と謎に駆り立てる重要な場所にしています。

 

そこでよく考えてみましょう。
確かに山の麓に当時の技術で平地から水を引っ張っていくなんて事はありえないでしょう。
ポンプも水道もないのですから。
普通に考えて低い土地から高い土地への水の輸送案はないようですね。

 

となると次に考えられるのは(多分これしかないと思いますが)
豊富な山の水と雨期の水を有効に利用したという事です。

 

マチュピチュはアンデス山脈の中に構成されています。
アンデス山脈は西側はもろに海です。太平洋です。

 

通常、海側からの湿った暖かい空気はアンデス山脈にぶつかると上昇気流にのり上空へあがります。
そこに山の反対側からの冷たい風とぶつかり雨や霧が起こるというわけです。

 

実際、この地方は11月から3月までの5カ月間は雨期です。
嫌が応にも水の恩恵は受けれます。

そして年中、気候の影響で霧が発生します。

4588315527_b3f4003107photo credit: IMG_4977 via photopin (license)

 

この霧と豊富な雨量が森を作り樹木を生い茂らせ、
潤沢な地下水や湧き水をいたる所から噴出させているのです。
上の動画を見れば一目瞭然ですね。

 

よって山の麓という立地ながら水源を確保すべき環境は案外、整っていたというわけです。

マチュピチュの謎〜水路の工事〜

水路の工事の謎も解決されていません。

あのような高地にいかにしてあのような立派な水路や水汲み場を整備し得たのか。
この不思議さがマチュピチュを世界有数の謎の空中都市として有名にしたと言っても過言ではありません。

 

文字を持たなかった為、資料も言い伝えも残っていない現状です。
しかし、その功績の跡はきっちりと残っています。

推論の余地となってしまいますがまたそれもこの謎を解き明かす事の醍醐味を私達に与えてくれます。

 

多くの古代文明、発祥の国家は建造物の材料として石を選んでいます。
これはマチュピチュの水路も例外ではありません。

 

日本の場合は豊かな森林の影響か木造による建造物が多いのですが
(これは宗教の関係性があるかもしれません)、
直接にキリスト教の影響を受けていない地域でも石を使った文明が発達していたようです。
こちらの動画をご覧ください。

水路に石を使うのは非常に理にかなった事です。
木製の水路ではいずれ木が朽ちてしまって使い物にならなくなります。

ましてやマチュピチュの目的は神聖なる宗教都市の建設です。
重要な役割を果たす水は最高の条件の元で手に入れなければなりません。

 

それから人類の叡智さを侮ってはいけません。
試行錯誤の末に行き着いたのがこの石を使った水路だったはずです。
恐らくここに辿り着くまでに100年、200年の月日を費やしたのでないでしょうか?

 

そして問題の石の運搬ですが私は他所から持ち込んだのではなく
現地に豊富にあった石を現場で加工してそのまま使ったのではないかと睨んでいます。

 

切削や表面加工には自然の恩恵たる豊富な水を使って長い時間をかけて希望通りの形にしたのではないでしょうか?
激しい川の流れはデコボコの石を滑らかで丸い石にしてしまいます。この原理を応用したのでないかと思っています。

3226157604_c4f070e796_bphoto credit: Machu Picchu via photopin (license)

マチュピチュの水路の謎の最後に

謎めいたマチュピチュの水路ですが

  • 宗教儀式の為に必要だった
  • 水源は豊富な地下水や湧き水、雨期の雨を利用した
  • 水路工事は現地の岩を加工した

という結論付けをさせていただきました。

 

とはいえ、誰もその当時の様子を記録や言い伝えで見たり聞いたりしていないので、
今回、私が調査した結果あげたこれらの意見も一つの仮説に過ぎません。

 

ただ、発想は自由であっていいし何も現代の常識内に当てはめなくてもいいと思いますね。

だってそうでないと、あのような人類が残した素晴らしい遺跡に対して失礼だと思いますので。

 

あれだけの絵になる景観はそう容易くは作り得ません。
太陽を敬い信じることによって平和で幸福な暮らしが全うできると信じていたであろうインカ帝国の人々の思いがあったからこそ実現できた偉業ではないでしょうか。

人類の人知と叡智はいかなる困難でも打ち勝ってきたという証だと思っていいと思います。