今では、ドキュメンタリー番組などでピラミッドについての様々な謎が紹介されていますが、ほとんどが未だ深い謎のままに包まれたままとなっています。
実はピラミッドというのは王様のお墓であり、現在発見されているその数はなんと118基以上!
エジプト以外でも見つかっています。
そしてそんな数あるピラミッドの中でも“クフ王”のピラミッド、“カフラー王”のピラミッド、そして“メンカウラー王”のピラミッドは特に人気のある3つのピラミッドとして有名です。
“クフ王”のピラミッドについては、あなたも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
しかし実は、この“クフ王”のピラミッドは他のピラミッドには無い謎がたくさんあるのですよ!
そこで今回は、そんな“クフ王”のピラミッドの謎について
- クフ王のピラミッドは誰が作った?
- 実はミイラは見つかっていない?!
- 何故か日本と繋がっている!
をメインテーマにして迫っていきたいと思います^ ^
クフ王のピラミッドの謎は誰が作った?
「ピラミッドって中身がこんな感じになっているんだよ」
「ピラミッドは実はお墓なんだよ」…と。
ピラミッドという言葉を挙げると、様々な謎が出てきますよね。
しかし、そもそもこの「ピラミッド」という建物を造ったのは一体誰なのかということです。
実はピラミッドを一番初めに造った人物というのは、数字や工学だけでなく、物理学にも長けていたあの…
「ガリレオ?」それとも「ニュートン?」
ピラミッドを初めて造った人物は、「イムホテプ」と呼ばれる人物です。
彼は、数あるピラミッドの中でも最古のピラミッドである“ジェゼル王”のピラミッドを造ったのです。
もちろん、彼1人がピラミッドを全て造ったという訳ではありません。
彼はあくまでも指揮をとる役割をしていたので、実際にピラミッドを造ったのは彼以外の人です。
ちなみに、1つのピラミッドを造るのにはおよそ10万人もの人が必要だったそうですよ。
それにしても、1人の王様のためだけにここまで派手に造るなんて…。
僕のお墓もこんな感じにしてもらおうかな。(笑)
ピラミッドで王のミイラは未だ発見されていないってホント!?
というように、ピラミッドは王様のお墓という目的で造られ始めたのですが、実はそんなこと言っておきながらミイラはまだピラミッドで発見されたことがないのです!
「いやいやいや。ならなぜ造った!」
と思ってしまいますよね。(笑)
あなたは“ツタンカーメン”を知っていますか?
“ツタンカーメン”といえば、ピラミッドと関係するとても有名な王様ですよね。
しかし、そんなツタンカーメンでさえも実際にはピラミッドで発見されておらず、「王家の谷」と呼ばれるお墓で発見されていたのです。
ピラミッドといえば、それはもう王様のお墓ということで「王様が眠っているお墓ってすげぇ」と思わせる雰囲気がダダ漏れですよね。
しかし実際には日本のメディア、TVでもピラミッドで王のミイラが発見されたということは一度も出ていません。
もしかすると、誰かが移動させた?
だとすれば、一体誰がミイラを動かしたのでしょうか?
クフ王って誰?
そういえばさっきから“クフ王”、“クフ王”と連呼していますが、「そもそもクフ王って誰やねん!」って思った人はいるのでは無いでしょうか。
実はこのクフ王、今先ほど紹介した3つのピラミッドの中でも一番大きいピラミッドを造ったとして有名な王様なのです!
ちなみにクフ王の名前ですが、これはギリシア語で「ケオプス」と呼ばれます。
またこの名前の由来は、「クヌム神に守られしもの」という意味の「クヌム・クフ・ウイ」からきていると言われています。
実は、クヌム神というのはナイル川を司る神で、 古代エジプトの神である「ラー」よリも古くに存在していると言われている神なのですよ!
ナイル川を司る…。
日本で例えるなら、天を照らす太陽の神「天照大神」のようなものですね。
ピラミッドの謎は日本に繋がる!?
このように、ピラミッドには様々な謎が隠されていることをお話ししました。
おそらく「へ〜!そうなんだ」
「こんな謎があったんだ」
などと思っていた人は多いのではないでしょうか。
しかし、ピラミッドの謎というのは私たち日本人にとって他人事ではないのですよ!
というのはどういうことかというと、これはクフ王のピラミッドの横で見つかった「太陽の船」が大きく関わっているのです。
「太陽の船」というのは別名「クフ王の船」と呼ばれており、その名の通りクフ王のために作られた船です。
今では日本でも多くの船が発展していますが、もともと日本って船の歴史が深い国なのですよ!
特に造船という形で船が大きく活躍し始めたのは、幕末の頃からです。
「でもそれって太陽の船と関係がないんじゃ…」
と思われた人、いると思います。
このようにエジプトで発見された「太陽の船」ですが、実はこれは日本にある古墳の壁画にも同じような絵が描かれているものがいくつか発見されているのです!
確かに幕末に大活躍をした船とは全く関係がありませんが、古代に作られた船が古墳の壁画にも描かれていたということから、古墳が作られた時代にも船というものが発展していたのかもしれません。
そしてまたその絵がエジプトの「太陽の船」と似ており、まるで太陽を運ぶために造られた船のような絵となっているのです。
ピラミッドの謎と日本が関係しているということを耳にするととても親近感は湧きますが、それと同時にさらに謎が深まった気がしますよね。
日本からどれくらいの距離があるのかというほどの遠い距離にあるエジプトですが、もしかするとこの時代からエジプトと日本は何かしら深い関係があったのではないでしょうか。
それでは最後に今回のポイントを総復習していきましょう!
クフ王のピラミッド〜まとめ〜
今回は「クフ王のピラミッド」についての謎に迫りましたが、いかがでしたでしょうか。
私たちが普段TVで見るようなピラミッドの謎はもちろん、ピラミッドが日本と関係がある可能性が高いというのも気になりますよね。
よく思い出してみてください。
日本にある古墳の形って、古墳によってはピラミッドに似ているところがありますよね。
それに古墳が作られた目的もピラミッドと同じで、王のお墓のためです。
もしかすると、この時代では密かにエジプトと日本が関わりを持っていたのかもしれません。
ならの大神(おおみわ)神社の御神体である山。
六甲山あたりはかなりピラミッド感があると個人的には思っています。
だとすれば、今後今の日本とエジプトとの政治関係にも、このような歴史が絡んできて少なからず影響を及ぼしてくるという可能性はなきにしもあらずですよね!
うーん、エジプトの謎は深まるばかりです。
今後、どのような形でピラミッドの謎が解明されてくるのか楽しみですね^ ^
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