黄河文明と長江文明の違いは遺跡にも文化にもクックリ現れています。
例えば文字、建物、食べ物も違うのです。
黄河文明と長江文明は中国文明として一緒くたにされる事がありますがそもそも起源が違います。
全く別物。
これから詳しくお伝えします。
今回は中国文明の
- 黄河文明とは?
- 長江文明とは?
- 黄河文明と長江文明はどう違うの?
- 黄河文明の遺跡にはどんなものがあるの?
- 中国の神話って?
の5本立てでお送りします!
黄河文明とは?
黄河文明とは紀元前6000年頃から紀元前1600年頃まで続いたと言われています。
僕が中学で習った時は5000年前でしたが^^;
黄河文明はその名の通り、黄河の中・下流域で栄えた文明です。
漢字の元になった甲骨文字が有名ですね。
この辺りは、モンゴル高原からの風により黄土が降り、肥沃で柔らかい土壌だったのが特徴です。
また、乾燥地帯でもあったので粟(あわ)や黍(きび)が主食として育てられていました。
生活としては半地下の竪穴式住居が主流でした。
日本でいう縄文時代のようですね。
紀元前4000年頃からは仰韶(やんしゃお)文化が黄河中流域を中心に栄えてきます。
さらに、紀元前2000年頃からは竜山(ろんしゃん)文化が山東省の「城市崖(じょうしがい)」というところで栄えてきます。
この二つの文化が黄河文明の中心となっています。
仰韶(やんしゃお)文化では粟や黍の雑穀栽培のほか、豚・鶏・犬などの家畜も買っていました。
他にも石器や骨角器を用いて狩猟や漁もしていたようですね。
そして、西アジアからの影響である彩文土器(さいもんどき)が一番の特徴となります。
彩文土器は彩陶(さいとう)とも呼ばれています。
そして、黄河文明後半の竜山(ろんしゃん)文化についてですが、竜山のポイントは作り方が違う2種類の土器です。
黒陶(こくとう)と呼ばれる土器は、高温で焼いた薄手の研磨土器で漆黒色をしています。
ろくろを使用した痕跡もありますが、何より当時「磨く」という発想があったのに驚きじゃないですか?
磨いてあるので光沢があり、写真で確認しましたがとても美しいものでした。
もう一つは灰陶(かいとう)と呼ばれる実用土器です。
これは青灰色で厚手の日常的に使われていたであろう土器ですね。
三足土器と呼ばれる構造が多く、この形状により雑穀を蒸したり、又は肉を似たりしていたと思われています。
竜山(ろんしゃん)では羊や牛や馬が飼育されていたんです。
仰韶(やんしゃお)時代よりも家畜が大規模になりつつありますね。
また、集落の大型化が進み、後の「邑(ゆう)」と呼ばれる村落の原型が作られました。
長江文明とは?
以前はそこまで重要視されていなかった長江文明ですが、1973年に発掘された河姆渡(かばと)遺跡により、黄河文明と併存していたと考えられるようになりました。
長江文明は長江の下流域に栄えた文明です。
この地域は湿潤な地域だったので稲作で生活していたようですよ。
日本の稲作もここが原点ではないかと言われています。
もし、ここで稲作が行われていなかったら、我々のソウルフード(米)は食べられなかったんですね(怖)
さて、長江文明のポイントですが、3つの文化にあると言われています。
年代順に見ていきましょう。
まず、1つ目は紀元前3300~紀元前2200に浙江省(せっこうしょう)を中心とした良渚(りょうしょ)文化です。
先程の河姆渡(かばと)遺跡や良渚(りょうしょ)遺跡などが主な特徴となります。
2つ目が紀元前3000~紀元前2600の屈家嶺(くっかれい)文化。
さらに、3つ目が紀元前2000~の四川省成都付近に栄えた三星堆(さんせいたい)文化です。
良渚(りょうしょ)遺跡からは長江文明の特徴である玉器(ぎょくき)と呼ばれるものが出土されています。
玉器とは何ぞや?という方のために…
古代中国ではきれいな石全般を玉(ぎょく)と呼んでいたそうです。
まさにそのきれいな石でできた器のことですね。
というか、器というよりどちらかというと装飾品といった感じでしょうか。
勾玉(まがたま)をイメージしてもらえばわかりやすいと思いますよ。
さて、両者出そろいましたので、比較してみましょうか(^-^)
黄河文明と長江文明はどう違う?
黄河文明と長江文明は基本的に併存しています。
両文明とも同じ時代に存在していたということですね。
生活環境の違いは?
黄河文明・長江文明においては
- 食料:粟(あわ)や黍(きび)、稲
- 環境:乾燥、湿潤
- 住居:竪穴式、高床式
- 土器:彩文土器
- その他:黒陶、灰陶、漆器、磁器玉器、青銅器
なんか、日本でいう縄文時代と弥生時代のようですね。
というか、やっぱり初期の4大文明に入っていた黄河文明の方が情報が多いんですよね。
長く探索されていたためでしょうか。
黄河文明の遺跡にはどんなものがある?
今までの内容は文明内にどんな文化が存在していたかの説明だったのですが、次は遺跡についてです。
黄河文明の遺跡として有名なものが渭水盆地内にある半坡(はんぱ)遺跡です。
やはり本場中国の漢字は日本人には難しいですね(汗)
半坡(はんぱ)遺跡は典型的な母系氏族(ぼけいしぞく)集落の遺跡なんです。
母系氏族ってわかりますか?
氏族というのが血縁関係のある一族のことを指します。
つまり、母系ということは男の人が婿入りしてきたってことで、母系氏族とは女の子が生まれないと反映していかなかったという事ではないでしょうか?
この半坡(はんぱ)遺跡の集落では不規則な円形の構造をしており、中央が居住区となっています。
さらに、この居住区でも南北に2つの違う氏族がわかれて暮らしていたということがわかっているんですよ。
さらにさらに、この居住区は環濠が設けられていたようです。
環濠とは水を張った堀のようなものなんですが、周囲からの侵略に備えてなのでしょうか?
そう考えられますよね。
また、この半坡(はんぱ)遺跡では甲骨文字とは違い記号のような半坡文字(はんはもじ)と呼ばれるものも発見されているんです。
独自の文化が形成されていたことがここでもわかりますね。
1958年には博物館も建設されたので、実際に勉強しにも行けるんですね。
ちなみに、この遺跡では北側に墓地が見つかっています。
中国では方角をとても大事にしていると思いませんか?
これは神話に出てくる四神(しじん)にも関連していると思われます。
中国の神話って?
ギリシャ神話とかは有名なのに中国神話ってあんまり聞かないですよね。
参考文献も極めて少ないんですよ(泣)
とは言え西遊記は有名です。
西遊記って中国のお話ですよね。
これは神話なのかなって思っていたんですが、ちょっと違う感じです。
なんか小説っぽい感じでしたね。
でも、原作者が不明で実際に旅をした法師をモデルとして神話を組み込んだ小説になったようです。
日本では鳥山明先生のドラゴンボールがかなり有名だと思うのですが、ドラゴンボールの初期設定段階つまり悟空がまだ子供の頃の話はまさに西遊記と同じ流れがくみこまれています。
筋斗雲も如意棒もはたまた芭蕉扇とかも両方に登場しています。
他にも、四神(しじん)も伝説の獣となっています。
四神(しじん)と聞いてもピンと来ないかもしれませんが、それぞれの名前を聞くと聞いたことあるんじゃないでしょうか。
各四神には方角や季節、色などをつかさどっています。
- 青龍(せいりゅう) 東・春・緑(青)
- 朱雀(すざく) 西・夏・赤(朱)
- 白虎(びゃっこ) 南・秋・白
- 玄武(げんぶ) 北・冬・黒(玄)
こちらもアニメやゲームで大活躍ですよね(笑)
また、この四神にもう一神足すなら、麒麟(きりん)ですね。
この麒麟(きりん)は黄龍とも呼ばれていて、方角は中央、季節は四季の移り変わる土用、色は黄を司ります。
さて、最後に今回のポイントをおさらいしておきましょう。
黄河文明と長江文明の違い~まとめ~
今回は黄河文明と長江文明の違いについてお伝えしてきました。
ポイントをおさらいしましょう。
- 黄河文明と長江文明は併存していて、2つをまとめて中国文明という。
- 甲骨文字は漢字のルーツになっている。
- 黄河文明は粟や黍を栽培・主食としていた。
- 長江文明は稲作をしていて、日本の稲作のルーツになっている。
- 西遊記は神話を元にした小説(ただし、原作者不明)だった。
日本には中国から入ってきた文化が今でも色濃く残っていることがわかりますね。
中国も日本もかつては現在のように統一されていたわけではありません。
なので独自の文化が発展し混ざり合って来たのですね。
浪漫があります。
読者さんの感想お待ちしております。
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