ロアノーク島集団失踪事件の詳細と400年後の発掘調査結果

島民150人が全員失踪し未解決事件となったままのロアノーク島集団失踪事件。

400年の時を越えて1998年に発掘調査が行われました。

その結果・・ある場所で、なんと遺留品が見つかったのです。

一体島で何があったというのでしょうか?
今回はこのロアノーク島集団失踪事件を詳しく見ていきましょう。

目次

ロアノーク島集団失踪事件とは?

このロアノーク島では、ジョンホワイトという人がここの島をイギリスの植民地にするべく、先頭立って開拓に励んでいました。

しかしホワイトは開拓半ばで本国に戻らなければならなかったんです。
食料などの物資支援の要請のためです。

ここまではいいんですが、戻ってくるのに3年もかかってしまったのです。

本当はもっと早く島に戻ってくる予定だったのですが、いろいろな事情があったようです。

このあたりがまず一番の問題なんですが(^_^;)

 

ホワイトは本国にもどって食糧支援もすぐに行うと植民地の人たちと約束していたにもかかわらず、実際に物資を持っていけたのは三年後だったんですからね。

もしかして、失踪には食糧不足とも関係があるのかもしれません。
150名の植民者達は食糧を求めて別の場所に移動してしまったんでしょうか?

とにかくこの島の開拓には残念なことに不運なことが重なってしまったんですね。

 

ホワイトがロアノーク島に戻った時は見渡す限りの荒れ地に。
1人として島に残っていないというのは、とても不思議なことですよね

これがロアノーク島集団失踪事件です。

3年の内に皆はどこへ行ってしまったというのでしょうか?

ここで重大なことは、その島にはホワイトの娘と孫娘もいたということです。
ホワイトは娘たちも一緒に帰国すればよかったと、どれほど後悔したことでしょう。

悔やんでも、悔やみきれなかったでしょうね。

失踪事件と言えばサンチアゴ航空の事件なんかもありますね。

ロアノーク島ではなにがあたのか?
何か集団失踪を解き明かせるようなヒントは島に残っていなかったんでしょうか?

・・それが実はあったのです。

ロアノーク島に残されたメッセージ

ホワイトたちは必死に失踪に関して手がかりになるようなものを探しました。

そして、必死の調査の結果、砦の柱と近くの木に謎の言葉が残されていたのを発見したのです。

謎のメッセージは2つ。

  • クロアトアン(croatoan)
  • クロ(cro)

という言葉です。

一体この言葉は何を意味するんでしょうか?

実はロノワーク島の近くに、クロアトアン島があります。
それを考えると、植民者達がクロアトアン島に移動したと考えるのが自然ですよね。

しかし実際には、嵐などの為にクロアトアン島も調査されませんでしたから、謎はしっかりは解明されていません。

あるいは、島近くに住んでいたクロアタン族に連れ去られたかとも考えられます。
あくまで推測です。

ロノワーク島は食べ物が豊かなところではありませんでした。
なので食料をめぐって昔から先住民との仲はそんないいものではありませんでした。

だから砦があったんですね。

実際ホワイトがまだ島にいた時にも、植民者の一人が先住民に殺されています。
ですから、クロアタン族とモメた説もまるっきりうそではないようです。

 

しかし何かそのあたりで争ったような形跡はなかったということで、これまた謎は深まるばかりです。

だとしたら自分たちの意思で移動したというのが有力でしょうか?

そもそも『クロ』という言葉はクロアトアン島を意味する言葉だったんでしょうか?

それとも、クロアタン部族を意味する言葉だったんでしょうか?
はたまた、全く別の意味だったんでしょうか?

結局これらの謎を覆すような証拠は長いことなく、謎は行き詰まってしまったかに見えましたが、近年進展があったのです。

クロアタン族首都を発掘したところ・・・

長い間ロアノーク島集団失踪事件について進展はありませんでしたが、1998年になってにわかに発掘調査が始まりました。

なんと失踪事件から400年後のことです。

 

発掘したところで何も見つからないと誰もが思いましたが、予想とは反対に失踪があった時代の金貨や指輪が見つかりました。

見つかった指輪は検証の結果、植民者の一人、マスター・ケンドールの所有物だった可能性が高いと結論づけたのです。
しかもそれらの物品はクロアタン族首都があったあたりで見つかったのです。

このことによって、皆はクロアタン族に連れ去られたが、自分たちの意思で移動し、その辺りに生きていたという説が濃くなってきましたね。

 

指輪が見つかったのは、大きな展開ですよね。

僕は何かしら自分たちの意思に反して移動しなければならない状況だったのではないかなと思います。

もし計画して自分たちの意思で島から出て行ったのなら、ホワイトに何かしら文章なり地図なりでどこへ行くのかということを、残しますよね。

 

もしかしたら、約束の時期を過ぎても一向に戻ってこないホワイトには期待していなかったのかもしれませんね。

また悪天候などによる急な移動も考えられます。

 

悪天候により食べ物が不足したり、嵐や地震などの影響で島からの脱出を余儀なくされたのかもしれませんね。
これも予想の範囲を出ませが。

ただ、争った跡もなく誰一人として島に居残っていないことから、何らかの事情で急に移動しなければいけなかったんだと考えるのが妥当なのかなと思います。

ロアノーク島集団失踪事件~まとめ~

ロアノーク島集団失踪事件についてお伝えしてきましたが、いかがでしたでしょうか?

  • ロアノーク島に植民した100人以上の人々が忽然と姿を消してしまった。
  • どこに行ったのか、消息はつかめず、砦の柱に「クロアトアン(croatoan)」という文字と近くの木に「クロ(cro)」という謎の文字が残されていた。
  • 失踪から400年ほど後、調査の結果、失踪があった時代の金貨や指輪がクロアタン族首都あたりで見つかった。

でしたね。

たくさんの人が無念の思いで亡くなっていったのかもしれません。

今の時代ではこんなにたくさんの人が集団で失踪してしまうことは、ちょっとありえないことですよね。。

どうかそれらの人々の魂が安らかに眠ることを祈ります。

あなたはロアノーク島集団失踪事件の真相をどうお考えになりますか?

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この記事を書いた人

島津真一と申します。

僕は世界の不思議が大好きで大好きでたまらず
同じように不思議大好きな同士達の為にこのサイトを作りました。

こちらのサイトではUMA、魔術、UFO,オーパーツなど
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