世界の終わり

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忌部氏はユダヤの末裔?日本にいた失われた支族とは?

織田信長vs武田勝頼の戦いと言えば、長篠の戦い。

その中の六芒星をまとった白装束軍、忌部氏(いんべうじ)をご存知でしょうか?

僕が歴史に疎いせいでしょうか…あまり聞いたことがない気がしませんか?
僕の記憶によると、教科書には出てこなかったのではないかと思います(^_^;)

しかしこの忌部氏。
実は日本の歴史にすごく深い関わりがあるんですよ。

今の僕達の暮らしに影響することもあるんです。
それも、意外なところで、意外なかたちで。

そんな、実は日本の歴史を語る上で避けられないのに知名度の低い、忌部氏についてご紹介しましょう。

  1. 忌部氏とは?
  2. 信長と忌部氏の関係
  3. 忌部氏のルーツは古代ユダヤ人?
  4. 日本に見られるユダヤの文明

忌部氏について知ってしまうと、今までの自分の中の歴史の常識が覆るかもしれませんよ(*^-^*)

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忌部氏(いんべうじ)とは?

まずはそもそも、忌部氏とは何者なのかをご説明しましょう。

時は戦国時代。
織田信長・徳川家康の連合軍VS武田勝頼の合戦がありました。

これはきっと教科書にも載っていたはずですよね(^_^;)
そう、長篠の戦いです。

当時としては最新の武器である銃を用いて、織田・徳川軍が快勝したことで有名ですよね。
あの、三段構えの。

三段構えが本当にあったかどうかは別として(僕はあったと思いますが。)この長篠の戦いの様子が、屏風の絵で残っているんですね。
その名も、長篠合戦図屏風。

この屏風の絵の中、戦場には似つかわしくない格好をした3人の男が描かれています。

背中に六芒星の描かれた白装束をまとい、大将である信長の真横にいるんです。(@_@)
この集団こそが、忌部氏です。

この忌部氏。
実はこれよりもずっとずっと前から、歴史に登場します。

物部氏をご存知ですか?
ヤマト王権時代に勢力を奮った豪族です。

この物部氏が、ユダヤ系キリスト教徒(!)である秦氏(はたうじ)と縁戚関係となり、生まれたのが忌部氏なんです。

ユダヤ系キリスト教徒?

ちょっと驚きですよね。
だってそれって、ザビエルが来日するよりも、もっともっと、もっっっと前の時代の話なんですから。

忌部氏は、だいたい5~6世紀くらいにその地位を確立していたそうです。
そんな時代に、もうキリスト教の教えが日本に入っていたかもしれないんですね。

ちなみに、秦氏は秦の始皇帝の末裔だそうで、ユダヤから来た訳ではないようです(^_^;)

有力豪族であった物部氏から派生した忌部氏。
仕事としては主に祭祀を行っていました。

そんな武士でもない忌部氏が、どうして合戦の中、よりにもよって大将の信長の横にいたのでしょう??
これは何かわけがありそうですよね(‘_’)

次は、忌部氏と信長の関係についてお話しします。

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信長と忌部氏の関係

主に祭祀を行っていた忌部氏。
そんな忌部氏が戦いのさなか、大将・信長の真横を陣取っている。
その様子は、まるで側近のようにも見えますよね。

信長と忌部氏、一体どんな関係があるのでしょう。
その答えは織田家のルーツにありました。

織田家の始祖と言われている人物に、「親真(ちかざね)」と言う男がいました。
彼は、平清盛の子孫とも言われていたんです。

つまり、織田家のルーツは平氏であるという説があったんですね。

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しかし、福井県越前町にある法楽寺と言うお寺で発見された石造物がこの通説を覆します。
この石造物を調査したところ、親真のお墓であることが判明したのです。

さらに、彫られている文字、石材の種類や置き方の特徴から、鎌倉時代の後期に親真の息子によって作られたものであると分かったんですね。
ここで織田家=平氏説に揺らぎが出ます。

ここに刻まれた年に亡くなったのだとすると、系図に照らし合わせると親真は100歳以上生きたことになるのです。

100歳って、現代でもものすごく長生きですよね?
平均寿命が今よりももっと少ない時代に、100歳以上生きるのは並大抵ではないです(@_@)

その点が、織田家=平氏説の怪しいポイントでした。

そこで出てくるのが忌部氏です。

代々伝わる家系図によると、親真は忌部親澄の実子だとされてるんですね。
さらに、墓に刻まれた没年と家系図のそれとは大差もなく、より信憑性が高かったのです。

まだまだ、本当のところは分かりません。
バラバラに散らばったピースを集めて、少しずつ真実の歴史に近づいているところなんです。

しかし、織田家=平氏の末裔説よりも、信憑性が高いのは織田家=忌部氏。
そんなふうに、歴史が解明されてきてるんですね。

と言う訳で、合戦の真っ最中に、武士でもないのに信長の横と言う超VIP席にいる忌部氏について。
親戚関係があるのならば、納得できますよね。

昔は今よりも占いや呪術が信用されていたと言いますから、祭祀を生業としている忌部氏に何かそっち系の相談をしていたのかもしれませんね。
と、言うのは僕の想像ですが(^_^;)

それにしても、背中に描かれた六芒星。
家紋なのでしょうか?

他の日本の家紋と比べると、ちょっと異質ですよね。

実は、この六芒星には忌部氏にまつわる秘密が隠されているんです!
次は、その秘密について掘り下げていきます。

忌部氏のルーツは古代ユダヤ人?

日本の歴史を大きく変えた織田信長。
その祖先でもあると目されている忌部氏ですが、その家紋が何と六芒星なんですね。

六芒星と言えば、ダビデの星、つまり、ユダヤを象徴する印として有名です。
イスラエルの国旗にも、ダビデの星が描かれていますよね。

イメージできますか?
これですね。
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何の偶然か、遠く離れた日本でもそのマークがたまたま使用されていたんだ…。
と、思いそうですが、どうやら偶然ではないようなのです。

今から遡ること、約2000年前。
前項でご紹介した、秦氏が渡来するよりももっと前ですねΣ(・□・;)

この時、古代ユダヤ人が何とここ日本に渡って来ていたと言う説があるのです(@_@)

かつて大陸は地続きだったとは言いますが、すごい距離です!
本当にそんな距離を移動して来たのか、にわかに信じがたいですよね(^_^;)

しかし、彼らが残した影響と思われるものが日本にはあるんです。
徳島の山間にある、神明神社

ここの磐境にイスラエル駐日大使が訪れた際、あまりにもユダヤの礼拝所に形や造りが似ていたので絶句したそうです。
本場の方が驚くのですから、よほど似ているんでしょうね。

実は、徳島は忌部氏が住み着いていた場所のひとつなんです。

忌部氏が、約2000年前に日本に来た古代ユダヤ人の子孫なのか、物部氏とユダヤ系キリスト教徒の秦氏より生まれたのか。
どちらであったにせよ、これはユダヤのルーツを持つ忌部氏の影響だと思いませんか??

さらにこの大使は、「この近くにアークがあるはずだ」とも言ったそうで。

ん?アークって??
インディージョーンズの映画で聞いたことありますよね。(^_^;)

そもそも、この大使はなぜ徳島の山深い神社を訪ねていたのでしょうか。

これにはちゃんと理由があったんですよ。
その理由をご説明しましょう。

日本に見られるユダヤの文明

イスラエル駐日大使が口走ったという、「アーク」。

アークとは、別名で聖櫃ともいう、ユダヤに伝わる伝説の秘宝です。
手に入れた者は世界を意のままに出来るそうです。(@_@)

その秘宝を探しに、大使は徳島に来ていたんですね。

でもなぜ、ユダヤの秘宝を日本で探すのでしょう?
その解説はとても壮大な規模になります。

時は遡り、紀元前1021年。
地中海東岸、パレスチナ地方に古代ユダヤ人の国、イスラエル王国が建国されました。

パレスチナと言えば、現代でも争いが絶えず、その地名をニュースで耳にすることも多いですよね。

イスラエル王国も、続く戦乱の末に紀元前586年に滅亡。
12個あったユダヤ人の支族は散り散りになり、そのうちの10支族が国外へ流れました。
 
そして、そのままどこに行きついたのか未だにつかめていないんです。

その10支族の中に、祭祀を取り仕切っていたレビ族という支族がありました。

アークを担ぐことが許されたのは、このレビ族だけであり、アークごとレビ族は歴史の舞台から消えたままなんです。
そのレビ族が日本に辿り着き、そのまま土着して様々な形でユダヤの文明を残している…という説があるんです。

全国的にも有名な京都の祇園祭り。
日本三大祭でもあり、毎年7月17日に山鉾巡行が行われ、その様子は繰り返しテレビでも放送されていますよね。

あの祇園祭が、実はユダヤの文明とそっくりだと言う事実をご存知ですか?

 

まず、7月17日という日についての共通点はノアの方舟伝説と関係があるとされています。

ノアの箱舟伝説は一度は耳にしたことがありますよね?

その内容はユダヤ人が信仰するユダヤ教の経典、旧約聖書の創世記に記されています。
簡単にまとめると、神の指示により造った方舟で大洪水から辛くも難を逃れる物語です。
 ノアの方舟とは?キリスト教の伝説と真実

その大洪水の後、アララト山と言う山の上に停まったのが7月17日なんです。
そんな訳でユダヤ人にとって、7月17日は聖なる記念日でなんですね。

その記念日に行われていたのが「シオン祭り」で、祇園はシオンが転じたものではないかと言われています。

さらに、祇園祭りにはラクダや砂漠、ピラミッドなどおよそ日本とは関係なさそうな絵柄の前掛けが多く登場します。
まるで聖書に登場する場面のようなものまであるのです。

※詳しくは日ユ同祖論をアークDNA祇園祭等の観点から解説!完全版をご参照ください。

そして、日本全国の祭りに欠かせない神輿。
神輿の文化でさえユダヤの影響があると考えられます。

ユダヤに伝わる伝説の秘宝、アークの形状が神輿にそっくりなのです。
アークとは船を意味するそうで、このアークの中にユダヤの三種の神器が収められていたんですね。

さらに、神輿を担ぐときにする掛け声の「えいさ、ほいさ」。
「えいさ」は、ヘブライ語の「イサ」=救い主が転じてこのように変わり、掛け声になったのではないかと思われます。

このように、数々のユダヤの文明を感じさせる痕跡が日本にはあるんですね。
そして、その血を受け継いでいると思われる忌部氏。

忌部氏も祭祀を生業にしていましたよね。
その忌部氏が、日本各地にユダヤの文明を形を変えて残していったということも十分考えられるのではないでしょうか。

六芒星から始まった、忌部氏の周りを取り巻くユダヤを思わせる数々の事象。
これだけ揃うと、忌部氏はやはりユダヤの血を引く者であったのではないかと感じるのは僕だけではありませんよね(>_<)

となると、イスラエル駐日大使が言うように日本のどこかにユダヤの秘宝、アークが眠っているかもしれないと想像してしまいます。

そして織田信長。

日本の歴史を語る上で避けて通れない人物ですよね。
彼が忌部氏の血を引く者であったなら、忌部氏が日本の歴史に及ぼした影響は多大です。

そう言えば信長は、キリスト教の布教に寛大でしたよね。

当時の情勢で、必要な手段のひとつだったのかもしれませんが、忌部氏がブレーンで耳打ちしたのか、はたまた信長本人の意思なのか…。

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いろいろと妄想が広がってしまいます。(^-^)

さて、ここまで長くなりましたので、一度簡単にまとめますね。

関連する記事

忌部氏はユダヤ人の末裔か~まとめ~

長篠合戦図屏風に姿を見せた、異質の白装束集団・忌部氏。
そのルーツを探ると、日本を飛び出して遥か遠くの中東・古代ユダヤにまで行きつきました。

完全に解明されておらず、いくつもの説があるうちのひとつですが、ロマンがあっていいですよね。
僕は、この説を半分信じたいと思います。(^^;;

それでは、全体をおさらいしましょう。

忌部氏とは?

  • 長篠合戦図屏風で信長の横に描かれている、背中に六芒星のある白装束を来た集団。
  • ヤマト王権の豪族・物部氏とユダヤ系キリスト教徒の秦氏の子孫。
  • 5~6世紀頃には地位を確立していた。
  • 主に祭祀を行っていた。

信長と忌部氏の関係

  • 織田家の始祖・親真について、平氏説と忌部氏説がある。
  • 平氏説だと、親真は100歳以上生きたことになるので疑わしい。
  • 忌部氏説は、発見された親真の墓石と系図から考えると信憑性が高い。
  • よって、信長と忌部氏は縁戚関係にあった可能性が濃厚。

忌部氏のルーツは古代ユダヤ人

  • 六芒星はユダヤを象徴する印として有名。
  • 約2000年前、古代ユダヤ人が日本に渡来したと言う説がある。
  • 徳島にある神明神社は、イスラエル駐在大使が驚くほどユダヤの礼拝所に似ていた。
  • 徳島は忌部氏が住んでいた場所のひとつであった。

日本に見られるユダヤの文明

  • 古代ユダヤ人のイスラエル王国が滅亡し、一部支族が国外へ流れた。
  • そのうちのひとつ、祭祀を取り仕切っていたレビ族が日本に辿り着いた。
  • レビ族はユダヤの秘宝、アークを担ぐことが許された唯一の存在で、アークごと消息を絶っていた。
  • レビ族がそのまま日本に土着し、様々な形でユダヤの文明を残したと言う説がある。
  • 祇園祭りの山鉾巡行が行われる7/17は、ユダヤのシオン祭りが行われる日と同じである。
  • 「祇園」は「シオン」が転じたもの。
  • 祇園祭に使用される前掛けには、中東や聖書を思わせる絵柄が多くある。
  • 神輿の形状はアークにそっくり。
  • 神輿を担ぐ際の掛け声「えいさ」はヘブライ語の「イサ」=救い主が転じたもの。

歴史的にはあまり有名ではない忌部氏ですが、残した影響は多大ですよね。
これからもっとその影響が解明されるかもしれません(*^-^*)

忌部氏を知る前は、島国の日本はあまり外国の影響を受けることなく発展したのだと思っていました。でも、中国を通り越し、中東から影響を受けていたかもしれないなんて、もう目から鱗の連続です。
それに、ユダヤの人々が日本まで来れたのだから、日本からもあちらに行った人がいるかもしれないのです。

そう考えると、どんどん妄想が膨らんでしまいます。
一日も早く、史実が解明されてほしい反面、妄想を膨らませて楽しみたくなってしまいます(^_^;)

冒頭でお話しした通り、それまでの歴史の常識が覆りませんでしたか?

今こうしている間にも、新たな歴史的発見があり、史実が判明したり、それまでとは変わったり。
新たな説が生まれたり、確定したり繰り返してるんですね。

この先、もっと覆るような史実が発見されるかもしれません(^-^)

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