さて、魔術と言うものは本当に可能なのだろうか?

前回述べたが、「錬金術」においては科学的にも既に荒唐無稽な
話ではないと言う事が証明されつつある。

 

 

しかし、「召喚術」はどうであろう。

有史以来で有名な召喚の話はソロモン王の話であると記述したが、
こ
れはソロモンが神から授かった力によって、
危険なく自由に悪魔を召喚
し、使役することが出来た。

だが、現在見受けられる「召喚術」は大変危険を伴うものであると言われ
ており、
術者の力に関係なく、正しい方法と正しい呪文によってしか召喚
出来ないものである。

しかも、前準備が大変な労苦を伴う上、爪の先ほどのミスでも命の危険が
伴うものだ。

塩でも撒いて、魔方陣を書けば良いなんてのは映画やドラマの世界の話
である。

度々登場するアレイスター・クロウリーは、実際に召喚に成功した数少ない
一人と言われている。
20世紀最大にして最凶と言われる彼でさえ召喚術は簡単なものではなか
ったらしい。

召喚前の準備として、彼は身を清める為にある一定の期間、外部との接触
を一切断ち、
食事もほぼ絶食に近い形で5感を最大限に研ぎ澄ます事に費
やしている。

 

それから更に必要な道具や供物を準備し、それを行うに値する
場所を選定し、
厳密に魔方陣を描き、完璧な手順と呪文によって召喚をす
るに至っている。

 

そこまでしても成功する確率は極めて低いと言われている。

 

彼が召喚した中でも極めて有名なのが、
彼自身の守護天使で”エイワス”
と言う高位存在である。

 

”エイワス”は一度召喚された後、何度もクロウリー
の前に姿を現すようになる存在である。

彼はこの存在に最も大きな影響を
受けたと思われる。

そのエイワスに自動書記の様な形で著されたのが「法の書」である。

この書の主体は“汝の欲するところを為せ”と言うものであるが、
全体を通
して見るとクロウリー自身も意味が解らないと言うほどの難解さである。

後年、人々は
「こんな本に意味はない。どうせクロウリーが麻薬漬けでラり
って書いたから自分でも支離滅裂で解らないだけだろう」
と、一笑に付したが
筆者自身はそうは思わない。

確かに難解ではあるが、文章としては成立し
ており、
意識が混濁した状態ではその理路整然さこそ不思議である。

 

また、法の書を読んで異常なほどの毒を感じた。

毒を感じる本や書は稀ではあるが法の書以外にもある。
筆者の意見を述べさせて頂くなら
法の書本は、あながち虚構ではないのかもしれない。

 

見てはならないもの、真の意味を知ってはいけないもの、
深入りしてはなら
ないものとして意識してしまう。

 

そして、そうでありながら取り憑かれたかの様に再び目を通したくなる。
意味は明確ではなくとも、吐き気を催す程の毒を浴びる。

 

そんな書は確かに存在する。

 

そして、法の書は紛れもなくその内の一冊と
言っていい。

クロウリーは法の書以外にも数冊著しているが、
法の書以外
は普通の魔術書でしかない。

 

そう考えると、法の書はやはり”エイワス”によって著されたのではないの
だろうか。

 

因みにこの本は発行される度に世界的大事件や大災害が起こると言われて
いる。
これは、蛇足の様な感じもするが・・・。

しかし、興味が出たからと言って、この書を見ることはお薦めしない。
感じようが感じまいが、この書は激烈で猛烈な毒を吐いており、必ずそれに
あてられるからである。

クロウリーは明確に残っている文献では、
この他に知人の病気を治す為に
「治癒の悪魔」と言われる“ブエル”も召喚したと言われる。

 

残念ながら、こ
の時はブエルの一部のみしか顕現させることしか出来ず、
完全治癒とはな
らなかったらしいが、症状が軽減したらしい。

アレイスター・クロウリー自身は、
後年、性魔術とドラッグに溺れ、魔術師としての格も堕ちたようだ。
彼が結局どこまで真理に近付けたのかは誰も判らない。

 

彼は結局全てのことをこの地上で行いながら、
この地上に何も残さず、全て
を持って死の世界に至った。

 

彼が魔術で得たものは何だったのだろうか?

厳格で信心深い両親への反発から始まったオカルティズムだったが、
それだ
けでは一生を捧げる動機にはならない。

 

彼が見た世界を見るには自身もまたオカルティズムの世界に身を置かねばいけ
ないのかも知れない。