祖母がまだ幼い頃、近所の床屋に生まれ変わりの証拠を持った子供が生まれ、大変な話題になったそうです。

人が生まれ変わる事なんて本当にあるのか?

その疑問にお答えするために、祖母から聞いた実例をそのままお伝えしていきます。

 

その前に、忘却のスープってご存知ですか?
忘却のスープとは、今世の記憶を(顕在意識から)消すスープです。

もう少し詳しくお伝えすると、
今世が終わり、あの世に行くときに三途の川を渡ることになりす。
※この時アカシックレコードと言って、今世の記録をすべて見せられるそうです。

で、あの世にいるときは今世のことを覚えているんですね。

そして来世としてまたこの世に生を受ける時に、三途の川におばあさんがいて、そのおばあさんの所に列ができています。

この列はこの世に行く人たちの列です。

 

三途の川のその列に並んで自分の番になると、おばあさんがスープをいっぱい飲ませてくれます。
と言うか、飲まなければいけない決まりになっているのです。

そしてそのスープを飲むと今世の記憶が消えて、この世に生を受けることになるのです。

 

信じても信じなくてもいいですよ。
ただ、前世の記憶がある人たちの文献を読むとほぼそのような内容になっています。

 

なぜ前世の記憶がある人と無い人がいるのか?

それは、この忘却のスープを飲まずに今世に降りてきてしまったからです。
記憶を消したくなくて、逃げて三途の川を渡る人もいるようです。

 

こちらの映画予告編をご覧ください。
その後少し補足します。

そのような人たち(前世の記憶)が中国のある村に集団で生を受けているのをご存知ですか?

この村、生まれ変わりの村と言います。
不思議ですね。

 

さて、動画の補足はこの辺にして、僕は今から祖母から聞いた生まれ変わりの実例をそのままを伝えします。
信じるか信じ無いか、読んでからご判断ください。

生まれ変わり実例と輪廻天生

祖母の話はこうです。

 

祖母がまだ幼い頃、近所に床屋を営むとても仲の良い夫婦がいました。327c2d5380f4d3171f3c61f23bdb00b2_s

二人はずっと子供を欲しがっていたのですが、なかなか出来ないまま結婚して10年以上経っていたそうです。

 

子供が欲しくて欲しくて、でも中々妊娠しない体質なのか、時は過ぎていきました。

そして「もう子供は無理かもしれない。」と諦めかけた頃、待望の赤ちゃんを授かったのです。

 

夫婦は大変喜びました。

それはそうですよね。
欲しくて欲しくてたまらなかった我が子です。

嬉しいに決まっています。

 

出産を楽しみにしながらお客さんの髪をチョキチョキしているご主人の顔が目に浮かびますね。

奥さんも、次第に大きくなっていくお腹を抱えて幸せいっぱいだった事でしょう。

大きくなったお腹でお店のご主人の所に行けば、お客さんに「楽しみだね〜!」なんて声をかけられる姿が目に浮かびますね♪

 

その後無事に出産を終え、生まれてきた赤ちゃんは、それはもう大層可愛がられたそうです。

10年以上待ちに待った待望の赤ちゃん。
ご両親はまさに溺愛していたそうですよ。

 

ただこの子、体が弱かったようです。

ご両親は一生懸命面倒を見て、精一杯育てました。

 

残念な事です。
大事に大事に育ててきた可愛い我が子が、たった2歳でこの世を去ってしまうとは。

ご両親は悲しくて悲しくて、お子さん遺体を火葬する時、ある事をしたのです。

生まれ変わり実例の前世は?

悲しみに暮れたご両親、お子さんが火葬される時、「またこの家に生まれて。」と言う意味とその時の目印の意味を込めて
右足の裏に、墨で【一】と言う文字を書いたのです。

参列者の仲にはいぶかしがった人もいたかもしれませんね。

 

でも右足の裏で書いたのです。
墨で【一】と。

どれだけそのこの事を愛していたのか、この事からも伝わってきますね。
ずっと面倒を見て、近くで大きくなっていく姿を見ていたかったんですよね。

 

・・・それから数年後、子供を諦めていた二人の間に再び子供が出来たのです。

もちろんこの意外な幸運に二人は大喜び!
無事に出産の日を迎え可愛い赤ちゃんが誕生しました。

生まれ変わり実例はあるのか?

生まれてきた可愛い可愛い我が子を抱いて、
手の指は5本あるか?足の指もしっかり5本あるか?と確かめていくと・・・。

 

右足の裏に何か書いてあります。

なにが書かれていたのか?
お分かりですね?

そう、【一】の文字がしっかりと書かれていたのです。

亡くなった長男を火葬する時に書いたあの【一】です。

 

生まれてきた子供のまさに右足の裏にあの時の【一】が書かれていた。

この事は多くの人々が知る事となったそうです。

祖母は熊本のつうじんきょう(通潤橋)のすぐ近くに住んでいたと言うので、もしかしたらそんな噂話が今でも残っているかもしれませんね。

ご存知の方がいたら詳しく教えて下さい。

 

この話を読んでお感じになったか、コメント頂けたら嬉しいです。