今まで数々のオーパーツ関連の記事を書いてきた僕ですが、今回お伝えする物は、本当にず〜〜〜っと書きたかった!

オーパーツ自体が信じられない気持ちは分かりますが、今回の壺型電池は絶対に最後まで読んでいっていただきたい。

そんな気持ちです。

 

これから壺型電池について、
「普通に考えたらこう。」とか
「逆にこんな反論がある。」とか
結局どっちなの?と思わせるような事を書いて聞く事になると思います。

 

でも、これは本物でしょ〜〜!!!というのが僕の考えだという事は先に述べさせていただこうと思います。

普通は「紀元前の時代に電気があった!」と聞いたら、およそ信じられないかと思います。

 

でも、時代錯誤遺物=オーパーツの中に電気が発明される遥か昔に電気が使われていたのではないか?と思わせる遺物があるんです。

その遺物とは、先ほどからチラチラ名前が出ている、紀元前3世紀頃、イラクのバグダッド付近で栄えたパルティア王国の遺物とされる「パルティアの壺型電池」と言われるものです。

 

「壺型電池」、古代に電気が使われていた上に電池だというのですから驚きですよね。
でも、本当に古代の人々は「壺型電池」を利用して電気を使っていたのでしょうか?


なにしろ、電気に関しては、古代より「電気現象の研究」はされていましたが、電気という物の存在が発見され実用化されるに至ったのは18世紀後半です。

つまり、普通に考えるのなら「古代の人もなんとなく電気という存在は認知していたけど、それがどのような原理で生み出されているのか理解していなかった」。と言う事になります。

 

紀元前3世紀ということは、電気が実用化される2000年以上前です。
本当に電池が存在したのでしょうか?

 

そもそも、「壺型電池」って何でしょう?
初めて耳にする方も多いと思います。

そこで今回は、その「パルティアの壺型電池」に関して

  • 壺型電池は電池だったのか?
  • 検証の末に導かれた2つの仮説

以上の事をお伝えしていきます。

では、順を追ってこのオーパーツを検証して見ましょう。

世界七不思議オーパーツ〜パルティアの壺型電池〜

壺型電池は電池だったのか?

「パルティアの壺型電池」とされるものは、発見時、普通の壺かと思われていました。
その中には、ハンダによく似た物で底が溶接された【銅製の茶筒】のような物が入っていました。

しかも、筒の中に【アスファルトの詰め物で固定された鉄の棒】が入っていたのです。

 

この不思議な構造、電池の構造に詳しい人でないと解かり辛いのですが、
実は19世紀にアレッサンドロ・ボルタという人が発明したガルバニ電池とよく似た構造でした。

では、このガルバニ電池によく似た「パルティアの壺型電池」は、やはり電池として利用されていたのでしょうか?

「パルティアの壺型電池」発見後、研究と実験が繰り返し行われ、いくつかの仮説が立てられます。

この実験により、想像し得なかった検証結果が得られることになります。

パルティアの壺型電池の検証結果

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世界七不思議オーパーツの一つ「パルティアの壺型電池」を検証した結果導き出された仮説をご紹介します。

仮説その1~電池説~

1939年にアメリカの電気技術者ウィラード・グレイという人が、「この壺とほぼ同じ仕組み」の物を再現して実験したところ、電気の発生を確認しました。

ともなれば、やはり当時の人はこの「壺型電池」を使って、電気を使用していたのでは?となりますが、この実験で発生した電気は実用するには非常に微弱なものでありました。

 

しかも、この実験「ほぼ同じ仕組み」と書きましたが、発見された「壺型電池」は前述の通り、
鉄の棒と壺の隙間をアスファルトの詰め物で封をした閉塞型の構造でした。

しかし、ガルバニ電池は電気を発生させるために酸素が必要になります。
なので必然的にその構造は、開放型でなければなりません。

 

閉塞型では、酸素がすぐになくなり電気の発生は止まってしまいます。

つまりガルバに電池とパルティアの壺型電池は似て非なる物で、41c0f0bfe7e878599daba3345c47e6de_s
パルティアの壺型電池に関しては電池的な構造を有しながら、実用的ではなかった訳です。

 

これでは、少し「電池説」は厳しくなってきましたね。
では、一体このような物を作って、何をしたのでしょうか?

別の実験によってもう一つの仮説が提唱されます。

世界七不思議オーパーツは偶然の産物だった?

ではパルティアの壺型電池はなんだったのか?
その仮説を見ていきましょう。

仮説その2~金メッキ加工装置説~

実はドイツのある考古学者が、この壺型電池のレプリカを使用して、電気分解による金メッキ加工に成功しています。
現在最も可能性が高いとされている仮説が、この「金メッキ説」です。

ただし、この壺型電池が発見されたバグダッド周辺からはパルティア帝国の人々が金メッキ加工を使っていたと証明するものは発見されていません。

しかし、パルティア帝国以前のシュメール文化の遺跡からは、金メッキ加工されているとしか思えないような工芸品が多数出土しているのです。

なので、金メッキ加工に使っていたとするならば、パルティア文明の物ではなくシュメール文明の遺物だったのかもしれませんね^^

 

シュメール文明にはやたらと高度な技術や天文学があった事は他の記事でお伝えした通りです。
なのでこの壺型電池がシュメール文明の物だという持論も結構有り得る話なんじゃないかと僕は思います。

シュメール文明に関してはこちらの動画をご覧ください。

かなり不思議な文明ですね。

 

金メッキ加工されたパルティア帝国の遺物が発見されていたら、「この壺は、金メッキ加工装置で決まり!」となっていたかもしれませんが。

 

ただし金メッキ加工の技術に関しては、電気分解を用いなくても行う方法は古くから知られていました。

なので、壺型電池のような装置を利用しなくても金メッキを施せた可能性もあります。

 

この「金メッキ説」も確証が持てる訳ではありませんが、当時の時代背景から、電池というより工芸品を作るための装置の方がしっくりきますよね。

そこで、「もしもシュメール文明のオーパーツではなく、パルティア帝国のオーパーツだったら?」と言う前提で私なりの仮説を立ててみました。

筆者の仮説

この「パルティアの壺型電池」と言われる物は、パルティア帝国の人々が金メッキ加工を施す為の装置を作ろうと試行錯誤の結果、この様な装置が出来たのではないでしょうか?
結局この装置では金メッキ加工は出来なかったものの、偶然電気を発生できる構造になった。

といったところでしょうか?

 

読者さんはどう思いますか?

最後にこの世界七不思議オーパーツのまとめをしておきましょう。

世界七不思議オーパーツ〜パルティアの壺型電池〜まとめ

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今回、「パルティアの壺型電池」に関して

  • 壺型電池は電池だったのか?
  • 検証の末に導かれた2つの仮説

についてお伝えしてきました。

 

「パルティアの壺型電池」は電気を発生させる電池的な構造を有していたものの、実用するにはほど遠い微弱な電気しか発生させることが出来ませんでした。

金メッキ加工を施す装置という説が有力ですが、それを裏付ける遺物が発見されておらず確証には至っていないと解かりましたね。

 

いずれにせよ、電気を発生させられるものを2000年前に製作していた事は事実です。

この技術が、当時さらに研究され電気が発見されていたら、現代の私たちの生活も全然違った物になっていたかもしれませんね。