井伊直虎…とても勇ましい名前ですよね。
みなさんはこの戦国武将をご存知でしょうか?
歴史ファンの方なら分かるかもしれませんね。
最近ではゲームのキャラクターにも採用されているので、それで知っている方も多いかもしれません。
しかし、教科書に載るほど有名ではないこの井伊直虎。
実は女武将なんです(@_@)
2017年のNHKの大河ドラマで「おんな城主 直虎」として放送されることで一気に注目を浴びることになった井伊直虎。
それでもまだまだ認知度が低い彼女について、来歴、人物像、逸話などをご紹介します。
- 井伊直虎は一途な大和撫子??
- 女武将、直虎の誕生 その経緯
- 血は流さぬ名武将 その政治手腕は
- 愛情深い直虎 すべては井伊家のために…
知らなかった方も、きっと直虎に惹かれるのではないでしょうか。
それでは、女がてらに武将として戦国の世を生き抜いた直虎についてご紹介します!
井伊直虎とはどんな人?実は一途な大和撫子??
歴史上の人物で「井伊」と言えば、「井伊直政」や「井伊直弼」を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?
かく言う僕がそうでした。
厳密にいうと、井伊直弼だけでしたが…(^_^;)
それも、確か江戸末期くらいの何か偉い人で桜田門外の何とか?だったっけ…くらいの認識です。
正確に言うと、井伊直弼は桜田門外の変で暗殺された末期の江戸幕府の大老です。
そして、僕は知らなかったのですが、井伊直政はと言うと。
徳川家康に仕えた家臣で、特に優秀な4人とされる徳川四天王のうちの1人です。
中でも最も若かったのが直政だとか。
そんな人物なのに、全く知りませんでした(>_<)
そして、この直政の養母にあたるのが井伊直虎です。
井伊家は今から1000年前より、遠江国井伊谷(現在の浜松市の一部)の領主でした。
直虎が生きた時代は戦国時代末期。
まさに世の中が混沌としていた時代です。
この時代、遠江国の井伊家は勢力を強めていた駿河の今川氏に従属していました。
しかし、その扱いは外様。
しかも、立地的に他国からの「お誘い」が多く、いつ裏切るか分からない井伊は今川に常に警戒されていたのです。
そんな折、祖父にあたる21代宗主の直宗が、今川義元の命で出陣した戦で討死してします。
まだ存命であった曾祖父にあたる20代宗主の直平は、この死に危機感を抱くわけです。
なぜなら、直平にとっての孫にあたる22代・直盛には、後継ぎとなる男子がおらず、子は娘の直虎ひとりだったのです。
このまま男子が生まれずに、直盛が死んでしまえば井伊家は途絶える。
その対策として、本流ではないが井伊一族である井伊直親と直虎を結婚させ、後を継がせることにしたんですね。
直親は直虎にとって遠い親戚にあたる、いわゆる「従兄弟違い」になるんですね。
諸説ありますが、年齢は近かったようです。
しかし、この案に家老の小野道高が猛反発。
小野道高は今川氏の忠臣で、かねて井伊家の乗っ取りを企んでいたフシがあるんです(-“-)
井伊家よ途絶えてしまえ!と思ってたわけです。
実際その後小野道高は今川義元に、直満(直親の父)は武田信玄に内通している…などと告げ口。
結果、直満は切腹させられます。
直満は最後まで無実を訴えており、今川義元に呪いの言葉をかけてなくなったとか((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
織田信長に謀反の疑いをかけられた徳川家康も妻子を切ることになりましたが、あれと同じ感じです。
今川義元を呪いながら、無実の罪で亡くなった直満。
子である直親にまで、今川の手が及びそうになります。
しかし、直親は表向きには病死したことにされ、こっそりと信濃のお寺へと逃げることに成功しました。
命は助かりましたが、ひとつ問題が。
突然、許婚(いいなずけ)の死を知ってしまった直虎です。
直虎はとても一途な女性だったんですね。
直親が病死したと知らされ相当ショックだったようで、自ら髪を切り出家の意向を両親に伝えたのです。
この悲劇の黒幕である小野道高の息子・小野道好との縁談もあったのですが、見向きもせずに。
しかしこの縁談を断ったのは、直虎グッジョブ!と言いたいところですね。
小野道高が黒幕だと井伊家は知ってか知らぬか分かりませんが、流れて本当に良かった…(>_<)
直親が実は生きていることを知っていた両親は、直虎の出家に反対するもその意思はとても固く…。
直虎は出家し、名を次郎法師と改めます。
ん?なんか変ですよね?
ここで井伊直虎は出家しちゃうんですから、どうやって城主になるのか?
ここからが面白いんですよ。
家督のために自らの意思など関係なく決められた許婚。
その死を知らされ、出家までして愛を貫こうとする直虎ってとっっっても一途な女性だと思いませんか?
時代的に珍しいことではなかったのかもしれませんが、僕も見習わないといけませんね(^_^;)
そんなとても一途で芯と強い直虎ですが、まだまだ「女武将」ではありません。
この、ひたむきな愛の持ち主の直虎。
どんな経緯を辿って女武将となるのでしょうか?
続いて、女武将と呼ばれるようになるまでの直虎の数奇な人生を簡単にご紹介します。
女武将井伊直虎の誕生とその経緯
出家して次郎法師となった直虎。
そんな直虎の人生に、転機が訪れます。
あれから10年余り、死んだはずの直親が、帰ってきたのです((((;゜Д゜)))
それは、周辺の列強武将達の同盟が成立したことで、身を隠す必要がなくなったからでした。
忍耐が身を結んだけですね。
死んだと聞かされていた許婚が実は生きていた知ったら、あなたならどうしますか?
もう出家した後だと言うのに…。
しかも、この時直親は結婚しており、娘ももうけていました( ゚Д゚)
複雑ですよね…。
愛する人が生きていた喜びと、自分以外の女性と夫婦になって子供がいる事実…。
でも、誰も悪くはないんですよね。
気持ちを整理するのは、相当大変だったと思われます。
正直、想像できないです(>_<)
そんな埋めきれない年月を挟んで帰ってきた直親は、直虎の父である直盛の養子になります。
つまり、直虎とは兄妹になったのわけです。
いくら家督のためとは言え、昔の人ってすごいですよね。。。
僕なら発狂します。
それか、やさぐれるかもしれません(^_^;)
そうして後継ぎ問題も解決に向かっていたとき、かの有名な桶狭間の戦いで直盛が戦死してしまいます。
22代宗主である、父・直盛の死。
それは、直親が23代宗主となることを意味しますよね。
無事といっては語弊がありますが、心配していた後継ぎ問題は、直盛の死の前に何とかクリアできたので井伊家は途絶えることなく存続することが出来たわけです。
さらに、直親は後継ぎである待望の男子を授かります。
その男の子こそが、虎松、のちの直政です。
そう、僕が知らなかった徳川四天王の井伊直政です。
時代が時代なので、そう珍しいことではないかもしれませんが、悲しい出来事が続いた井伊家もようやく落ち着き始めましたね(^-^)
と思ったら、今度は、ずっと井伊家乗っ取りを企んでいた小野道好が動き出します。
その方法は、今川への告げ口。
またこれ。
直親が徳川家康と内通していると讒言したのです。
父である道高と同じ方法です!(-“-)
これが原因で、直親は今度こそ本当に帰らぬ人となります。
どこまでも食えない小野一族です…。
そしてその魔手は息子の虎松にまで伸びるのです。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり。
妻の親戚筋にあたる新野親矩(にいの ちかのり)が名乗りをあげ、虎松は新野宅に身を寄せることで、命を繋ぎます。
しかし、しかし。
一安心したのも束の間。
次は、まだ健在で宗主に復帰していた曾祖父の直平が急死。
この死には諸説あり、毒殺説もあるのですが、とにかく…。
とにかく、宗主がいなくなってしまうことになりました。
そう、幼少の虎松を除いて、跡取りのいない状態で。
残ったのは、女であり、出家して次郎法師と言う名になった直虎だけ。
このままだと、後継ぎとしてカウントされませんよね…(T_T)
しかし、ここで粋な計らいが発動します。
この「次郎法師」と言う名。
出家する際、直虎はこの名前に不満を漏らしたそうです。
しかし、この名前には両親である直盛夫妻と、名付け親である南渓和尚の愛が込められていたんですよ(*´ω`*)
「次郎」は代々、井伊家の宗主の通称でした。
その次郎に、「法師」と言う僧名をくっつけた名前、それが「次郎法師」。
「次郎法師は尼僧ではない。僧侶である。なので、尼僧とは違い僧籍を離れ、還俗できる」 という理屈が成り立つそうで(^_^;) ・・・というか、こじつけたんですね。おそらく。
当時、男性の還俗(僧・尼になった人が、俗人に戻ること)は認められていたが、女性は許されなかったのです。
しかし、直虎は女性でありながら、尼ではなく僧侶であるので還俗できる。
と、言うすごいこじつけだなぁという理由で直虎が還俗できる道を残していたのだとか。
そんな理由があって、女性である直虎が嫌がる、現代であってもちっともかわいくない「次郎法師」という名になったのでした。
そんな、名前のスーパー屁理屈のおかげで直虎は俗人に戻ることができました。
次郎法師改め、直虎。
直虎に関する史料は少なく、次郎法師となる前の幼名は不明で「女」としか記されていませんでした。
しかし、ここで本当に「直虎」と言う名になり、井伊家宗主となって女武将として歴史に名を刻むのです。
ここまで、運命に翻弄されっぱなしの直虎でしたよね。
この後、直虎は宗主としてどんな活躍をするのでしょうか?
次は、直虎の宗主としての手腕が垣間見えるその後のお話をご紹介します。
井伊直虎のその政治手腕は
運命に翻弄され、女地頭(領主の意)となった直虎。
僧名を利用した、まるでとんちか屁理屈のような苦肉の策のおかげで何とか家督を継ぎ、井伊家滅亡を防ぎます。
しかし、これもその場しのぎで問題は山積。
後継ぎ問題はひとまず当面の間はしのげても、女がてら戦国の世を渡り歩くことは相当難しかったようです。
女地頭となった直虎ですが、井伊家は相変わらず今川の支配下でした。
当時、今川は義元の息子・氏真が当主となり、徳川の侵略を防ぐために苦心していました。
その際、直虎が領主を務める遠江国に城を築かせます。
しかし、これが地元民に過大な負担となってしまうんですね。
そこで今川氏真は、一揆も辞さない気配のある民を抑えるため、その要望に応える形で借金をなかったことにする「徳政令」を出そうとします。
これを黙って見ている訳にいかないのが直虎です。
だって、いくら支配されているからといって、自分の領地に我が物顔で城を築くわ、民を酷使するわ、その上、内政にまで口を出そうって言うのですから、面白くないですよね(-“-)
僕だったら、一緒に一揆に参加してしまうかもしれません。
短絡的でダメですね(^_^;)
しかし、徳政令を発令させてしまえば、領地の経済が荒れることは必須。
また、民や臣下たちにも女地頭として面目がたちません。
ここで直虎がとった方法が、ドンパチ! ・・・ではなく、交渉でした。
まずお金を貸した側の不満を減らすために、今川氏真版よりもずっと緩い、特別措置版の徳政令を与えたんですね。
また、「徳政令免除」の措置を設けることもありました。
その間、今川側からは徳政令の施行を急ぐよう何度もせっつかれますが、これも上手くいなします。
そのように血を流すことなく、交渉と言う形でこの徳政令の施行を何だかんだで2年延ばすことに成功するんです!
結果、被害を最小限に抑えることができたのです。
しかし、この行いのせいで直虎は地頭を罷免されてしまうんです(T_T)
その結果、小野に領地は奪われ、直虎はまたもや出家を条件に生きながらえるのでした。
これって、戦国時代ではごくありふれたことなのでしょうか…。(@_@)
女地頭にまでなって、家督を守ろうとした直虎ですが、あぁ悲運。
これを悲運と言わずしてなんと言うのでしょう(T_T)
ここで井伊家は消滅か…と思いきや、まさに時代はジェットコースター。
情勢は目まぐるしく変化するのでした。
虎松を覚えていますか?
後の直政の、あの虎松です。
養子に出てしまってはいますが、井伊家の男子、実は彼がまだいます!
続いて、養子にいってしまった虎松のその後の活躍と、その陰で支えとなって暗躍した直虎についてお話しします。
愛情深い直虎・・すべては井伊家のために…
その政治手腕が功を奏したにもかかわらず、小野道好にまんまと領地を奪われ、出家せざるを得なくなった直虎。
この状況をよく思わない井伊家の臣下もちゃんといました。
井伊谷三人衆といわれる、近藤、鈴木、菅沼の三者です。
この三人衆はひっそりと徳川に内通するんですね。
そうして、家康が遠江に侵略する際に道案内をし、一役買うのでした。
結果、小野道好は戦うこともなく城から逃亡し、敗北。
捕らえられ、処刑されてしまいます。
そして小野道好にとって代わって、今度は徳川家康が遠江を治めることになりました。
憎き小野を滅ぼすことがやっと叶いましたね!
そして、新たな救世主、家康の登場です。
その4年後。 虎松が父である直親の法要で井伊谷へ戻ります。
その際、直虎は虎松を自身の母の再婚相手・松下氏へ養子へ出しました。
これにはちゃんとした理由がありました。
松下氏は徳川の家臣だったのです。
直虎は、そのまま虎松を家康に仕えさせようと考えたんですね。
徳川家康のその後の躍進を見抜いていたってことですよね!(@_@)
この時代、どの武将につくかは自らの命を左右しかねない最重要事項なので、そういった見抜く力ってすごく大事だと思います。
そして翌年、直虎にとって…虎松にとっても、大きなチャンスが訪れます。
狩りに出た家康の目に、虎松がとまるのです。
それもそのはず、直虎は虎松に自ら仕立てた着物+お手製の四神旗を持たせ、遠くからでも目がとまるように目立たせていたのです。
直虎、ナイスアシストです(‘ω’)ノ
目論見通り目にとまった虎松は、家康に城へと招かれるんですね。
そして、井伊家の末裔であることを知られるに至ります。
すると家康はたいそう驚いたそうです。
と、言うのも井伊直盛は桶狭間の戦いで共に戦った仲間だったんです。
さらに、実父の直親は家康に内通した罪で処刑されていましたよね。
その末裔である虎松に家康は300石を与え、召し抱えることにします。
しかも、事情があって松下家の養子となっていた虎松に、「井伊万千代」の名を与えます。
つまり、途絶えていた井伊家に、後継ぎとなる男子がここに再び戻ってきたことになるんです\(^O^)/
その後、元服して名を直政とし、徳川四天王と呼ばれるまで登りつめ、様々な活躍をするのでした。
しかし、直虎はと言うと…。
直政が元服する姿を見ることはありませんでした。
1582年、残暑厳しい8月の26日にこの世を去ったのでした。
享年、47歳(推定)。
生涯独身を貫きました。
直政が、家康から褒美の陣羽織を受け取ったのを見届けた後のことでした。
その冬、直政は元服。
元服した直政は、直虎を思い涙を流してこう言ったそうです。
「元服したこの姿を、おばうえ(直虎)にも見てもらいたかった。」
直政のこの言葉から、2人の絆の強さが伺えますね。(T_T)
直政は、直虎の愛情をきちんと感じ、しっかりと受け取っていたのでしょうね。
その後の直政の活躍は、本人の資質によるものももちろん大きいと思います。
しかし、女がてらに戦国の猛者相手に渡り合い、幼い彼の命を守り、家康の目にとまるようにサポートをした直虎抜きでは語れない気がします。
ただ、戦で戦うだけが戦国の世を渡り歩く方法ではないことを直虎は教えてくれます。
それにしても、直虎は人生を翻弄され続けてばかりでしたが、強い心の持ち主だったんですね。
その心の中心にあったのは、井伊家の繁栄を願う気持ちか、はたまた、愛する直親のことを思ってなのか。
どちらにせよ、直虎は愛情深く、心の強い女性であったことは間違いないでしょう。
さて、ここまで、女武将・井伊直虎について様々なことをお伝えしました。
とても長くなりましたので、一度簡単にまとめますね^^
まとめ
戦国の世に生まれた井伊直虎。
彼女の数奇な運命に翻弄されながらも、力強く、そして女性らしく愛情深い人生を見てきました。
それにしても、改めて、戦国時代ってすごい時代だったんですね。
ここでもう一度、簡単にまとめます。
☆直虎は一途な大和撫子??
- 井伊家は遠江国の領主だが、今川に従属していた。
- 今川からは常に監視されており、外様扱いだった。
- 22代・直盛の子が娘しかおらず、後継ぎ問題があった。
- 後継ぎ問題の対策として、従兄弟違いの直親と直虎を結婚させ、直親に家督を継がせる計画だった。
- 小野道高がこれに反発、今川に虚偽の密告。
- これが原因で、直親の父が切腹。直親にも危険が迫る。
- 直親は病死したことにし、信濃の寺へ逃亡する。
- 許婚である直虎は、直親の死に悲しみ、出家。名を「次郎法師」とする。
☆女武将、直虎の誕生 その経緯
- 死んだはずの直親が帰る。しかし、既婚妻子あり。
- 直虎の父・直盛が直親を養子にする。直親と兄妹になる。
- 桶狭間の戦いにて、直盛が戦死。直親が23代宗主へ。
- 直親に世継ぎとなる男子が生まれる。名を虎松(後の直政)。
- 小野道高の息子・道好が直親が徳川家康と内通と今川へ密告。
- これが原因で直親は討死。
- 虎松は親戚筋の新野宅へ身を寄せ、難を逃れる。
- 曾祖父・直平が急死。幼い虎松以外は男子の世継ぎが不在となる。
- 「次郎法師」の名は尼でなく、僧であると言う理屈で女がてらに直虎は還俗。
- 還俗後、名を直虎として女地頭となる。女武将の誕生。
☆血は流さぬ名武将 その政治手腕は
- 今川氏真が直虎の領地に徳川対策として城を築き、民を疲弊させる。
- 今川が民の不満解消のため、「徳政令」を計画をする。
- 直虎はこれを戦なしで最小限の被害に抑える。
- しかし、これにより地頭を罷免。領地は小野道好に奪われる。
- 直虎は再び出家することで命を守る。
☆愛情深い直虎 すべては井伊家のために…
- 井伊谷三人衆、徳川家康に内通。徳川の遠江侵略に一役。
- 小野道好、徳川家康の侵略に逃亡、のち処刑。
- 徳川家康、小野に代わり遠江を治める。
- 直虎、井伊谷に戻った虎松を徳川臣下の松下氏の養子とする。
- 虎松、徳川家康の目にとまり、城に招かれる。直虎の仕立てた着物と四神旗のおかげだった。
- 徳川家康、虎松の系譜を知り300石を与え召し抱える。
- 虎松、徳川家康より「井伊万千代」の名を受け、井伊家復活となる。
- 直虎、虎松が徳川家康より褒美の品を受け取るのを見届けた後、夏に死亡。享年47歳(推定)、生涯独身だった。
- その冬、虎松は元服し「直政」となる。「元服したこの姿を、おばうえ(直虎)にも見てもらいたかった。」
- 直政、徳川四天王と呼ばれるまで登りつめ活躍する。
いかがでしたか?
井伊直虎の人生は、時代に翻弄されっぱなしでしたね(>_<)
しかし、井伊家を守ることができ、愛する直親の子・直政が徳川家康の傍で頭角を表すところを最後は見守ることができたのは、幸せだったのかもしれません。
きっと戦国時代には直虎のように、自らの意思とは裏腹に運命に翻弄された女性がたくさんいたことだろうと思います。
しかし、みな強く、例え散ったとしてもその姿は潔く、美しかったに違いないと思います。
歴史に名を残さなくとも、たくさんの命と壮大な物語がその数あるんですね。
現代を生きる僕には、本当の意味で理解することも想像することもできませんが、尊敬してしまいます。
あまり名の知られていない井伊直虎。
この、強くて愛情深い女性の物語は、きっとあなたの心に何か残すのではないでしょうか?
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