戦国時代の動乱を切り抜け天下泰平の世を築いた徳川家康。
実は死因や亡骸のある場所が曖昧なのです。
日本を治めた権力者なのに!
そこで今回は徳川家康の謎について迫っていきたいと思います。
- 徳川家康の死因の謎
- お墓はどこに?久能山東照宮ではない?
まずは死因の謎を詳しく見ていきましょう。
徳川家康の死因とは?
家康の死因には次のような説があります。
天ぷら食べ過ぎ説
1616年1月のこと。
家康は70歳過ぎの高齢でありながら、真冬の寒さの中鷹狩りへ出かけました。
案の定、無理がたたって体調を崩して倒れてしまいます。
その療養中に京都からお見舞いに来た豪商・茶屋四郎次郎清次から、「鯛の南蛮漬け」の話を聞きつけます。
珍しいもの、おいしいもの、と聞き、好奇心が止められなかったのでしょうか。
すぐさま料理番に命じて作らせます。
家康は体調がすぐれないにも関わらず、あまりのおいしさにたくさん食べてしまったそうです。
高齢で体調不良で油物をたくさん…聞いているだけけでも消化不良になりそうです。
そして、その夜から腹痛に襲われた家康。
回復しないまま3ヶ月後の4月17日に亡くなってしまいました。
胃がん説
家康は周りの人たちに体調不良の訳を「腹の中にサナダ虫がいるから」だと言っていました。
サナダ虫がお腹にいても、無症状のことが多いそうですが、時に下痢や腹痛などが起こることがあるようです。
ほかの理由にしたくなくて、サナダ虫なのだからおおごとではない、と言いたかったのかもしれません。
しかし、徳川家に残る公文書によると、やせ方が激しく、吐血や黒い便が見られ、腹に手で触れて分かるほどの大きなシコリがあったとのこと。
現代の医学的に見ると、胃がんだった可能性が高いそうです。
天ぷら食べ過ぎ説は、原因となる腹痛から亡くなるまで3ヶ月も経過していることから、直接の死因とは考えにくいため俗説とされています。
話としては家康らしく、少し微笑ましくさえあるエピソードですが、医学的には胃がん説が有力のようです。
このほかに、関ヶ原の戦いのときにはすでに亡くなっていて、ずっと影武者を立てていたなどという説もあったりします。
これが本当だとするとなんだかワクワクする話ですが、これもやはり謎のままです。
念のため、家康の生涯も振り返っておきましょう。
死因だけでなく、お墓(遺骸)がどこにあるかについても、諸説あり謎のままになっているようです。
織田信長の側近だった説のある忌部氏についてもまとめました。
徳川家康の墓の謎
家康のお墓として有名なのが、静岡県静岡市にある「久能山東照宮」と栃木県日光市にある「日光東照宮」です。
そのどちらに遺骸があるのか、今も謎です。
久能山東照宮説
家康は遺言で「身体は久能山へ収め、葬儀は増上寺で行い、位牌は大樹寺に立て、一周忌以降に日光へ小さな祠を立てて分霊せよ」と言ったと伝えられています。
実際に最初は久能山へ土葬されました。
日光への分霊は、一周忌を終えた4月下旬ころから2週間をかけて行われたそうです。
分霊というのは遺骸がなくてもよく、土葬された遺骸を暖かい時期に2週間もかけて運ぶのは無理があるだろう、というのが久能山説派の主張です。
日光東照宮説
日光東照宮への分霊にあたって、2代将軍秀忠は家康の遺言通りに小さな堂を建てたそうです。
これが3代家光の時代になって、現在のように豪華に建て替えられました。
日光東照宮は全国にある東照宮(東照大権現=家康を祀った神社の総称)の総本社であり、分霊の際に遺骸も移ったとするのが自然、というのが日光説派の意見です。
現在でも徳川宗家の方々は日光ではなく久能山へお参りするそうですので、もしかすると遺骸は東照宮へは移されていないのかもしれません。
さらに、久能山の例祭は命日当日である4月17日。
日光の例祭は命日から1ヶ月遅れの5月17日であることなどから、遺骸は久能山にあるのでは…という思いが強くなりました。
でも徳川家康の墓を掘り返すこともできないし謎のままでしょうね。
現代の科学技術を使って調査してみれば何か分かるかもしれません。
徳川埋蔵金のように大々的に調査してもらいたい気もしますが、神聖なるお墓のことですので、許可されることはないでしょう。
このほかにも、大阪堺市の南宋寺や、家康の生地・岡崎にもあるなどという説もあります。
みなさん、ゆかりのある人々は自分たちのところに家康が今もいる、と思いたい気持ちがあるのでしょうね。
いずれにせよ、どの説も家康が広く民衆に愛されていることの証ではないでしょうか。
自分のことより人のことを考え、部下を大事にし、些細なことでは腹を立てない…そのようにして生き抜いて、天下をとるという大事を成し遂げた生き様がそのまま出ている感じがします。
有望なのは久能山東照宮なのか日光東照宮なのか?
ちなみに久能山東照宮で「徳川の天下を脅かすものは西から来る。」と、西を警戒する姿勢で安置されているとも言われています。
さて、最後にポイントをおさらいしておきましょう。
徳川家康の謎~まとめ~
260年余りも続く天下泰平の時代の礎を築き、今もなお人々に愛され続ける徳川家康。
死因や亡骸がある場所には諸説ありましたね。
死因については
- 天ぷらに当たった説
- 胃がん説
亡骸は久能山東照宮説と日光東照宮説がありました。
歴史は面白いですね^^
明智光秀の謎も面白いですよ。
凄く興味深いです。
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